みんな、思考をするときは抽象から入って具体に落とし込むんだと思うけど、この文章のアラン・ケイは抽象だけで語ってる感がある。
抽象と具体というのは、たとえばワープロソフトでパチパチと文字を打っている状態が抽象。
保存せずにずっとメモリ上で作業をしていて、適当なところでディスクにセーブする。セーブが具体。
で、また文字をパチパチと打ち始める。このサイクルが長ければ長いほど大容量のメモリを持っているんだろうと思う。
抽象的な思考を保つのは難しいので、その限界がくれば、抽象的なイメージを具体的なロジックに落とし込む。保存する。
違うたとえを用いるなら、並べたドミノのところどころに仕切り板を置いておくようなもの。
でもイメージをロジックに変換するときには必ずロスが生じるので、できるかぎりは抽象を保ったままがいい。
つまりは、大きなメモリを持っている人が、いわゆる「天才」という奴なんだと思う。
抽象で考えることができる領域が広いのはすごいことだが、抽象のままアウトプットに失敗しているのは能力が高いと評価できるか疑問だ。 論文を書くときや人に説明するときは、共通...
http://anond.hatelabo.jp/20070125110930