はてなキーワード: セカチューとは
昨日電車の中で見た、カルピスの広告で微笑んでいる長澤まさみがすばらしく可愛かった。
セカチューの頃とかどうでもよかったんだけどな……なんてことを考えていたら唐突に思い出したのが以下の出来事である。
綾瀬はるかが何かのドラマに出演する関係で、はなまるカフェのゲストに出ていた。
当時のはなまるカフェは薬丸が「続いてはこのコーナーでーす」と振ると、
一人テーブルについているゲストが置かれている本を開き、
開いたページに書いてある「座右の銘は?」だとか「尊敬している人は?」等の簡単な質問を読み上げそれに答えてCM。
で、綾瀬はるか。本を開いてその開口一番
「よ、読めない……」
動揺する綾瀬はるか。ADあたりから指示が出たのか、他のページを開く綾瀬はるか。
「これも読めない……」
スタジオ騒然……となったかどうかは不明だが、明らかにおかしな雰囲気でCMへ。
「セカチュー」を周りに薦めてくるやつの話。
紙媒体の小説なんぞ読んだこともなく、キムタク主演のTVドラマしか見てないようなアレなDQNが、
ちょっと「泣ける」っていう要素を入れた小説を読んだ途端に目覚めて、
これはいい、これはいいと勧めまくってくるってだけの話じゃないのかな。
急に高尚さを求めだした的な。
文学や映画をたしなんでいる方面からの評判は聞いたことがない。
(あったらゼヒ紹介してください、読んでみます)
出来で言えば圧倒的に、文学・クラシック映画>>>>>>泣ける映画・小説なんだが、
DQNは文学やクラシック映画などという高尚な文化に触れたことがないので、
泣ける小説で満足している、と見ることが出来るのではないかな。
最近、泣ける恋愛小説から派生した、「泣ける恋愛だけじゃないじゃない小説」が話題になっているけど、
文学性を追求していることの現れなんじゃないかな。
http://anond.hatelabo.jp/20070209155341
作ってる側が泣かすために泣けるだろう要素を適度に涙腺を刺激するよう配した作品を鑑賞して号泣するっていうのはあたりまえっちゃあたりまえで、別に「泣ける」ってことはその作品を高尚/文学的たらしめる要素にはならない。泣ければ素晴らしいエンタテインメントだ、という理屈がまかり通るわきゃないじゃない。「このエロゲは泣ける」とかいわれてエロゲの優位性というか「エロゲだと思ってナメやがって」みたいな若干のルサンチマンを表明されても「はあ、そうですか」というしかないのです。泣けるからなんだっつーんだ。いやほんとにエロゲだからってナメちゃいけないのはわかってるんだけれどね。ちょっと憤りを感じるよネ。
……エロゲで泣いてる人って、それが本質的にセカチューとか冬ソナの「泣き」と根本的に同じであるということに気づいているのだろうか。まさか、それらを蔑んでエロゲ最高とか言ってるわけじゃないよね。実際にそんなことほざいてる人見たこと無いのできっと杞憂なのだと思いますけど。
P.S. いつも思うんだけど書いてるうちに「これ俺の文章じゃねぇな」って感じるんだ。なんでだろう