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2020-08-31

担降りする話

 ふと、「担降りしよう」と思った。これまで一度も降りたことがない。でも降りるなら今だと思った。これはただのお気持ち表明増田です。私がただ気持ちを整理するためのもの。13年担当した村上さんからエイトから、降りることに決めた話。

 多分最初担当と名乗りたい!と思ったのは彼で、それまでに好きになったアイドルもいた気がするけれど私の中の記憶が正しければ彼が最初の人だったと思う。きっかけは本当に覚えていなくて、初めて彼を認識したのは母親が見ていたはなまるマーケットはなまるカフェだった気がする。母は村上さんに一目惚れして当時リリースしていた関風ファイティングを購入していて、うちにあったから聞いていた程度だった。その後47都道府県ツアー地元公演に入り、大倉くんかっこいいなぁ〜と思っていたのにイッツマイソウルを購入したときにはすでに村上さんの担当を名乗っていた。なんでだろう、奇跡な気がする。今でも私にとっての理想アイドル村上さんだと信じて疑わない。

 ジャニオタであることを休憩したときもあった。でも最終的に帰る場所はいつもエイトで、私にとっては実家のようなものだった。高校卒業してからはほぼ欠かさずツアー東京公演に参加していたし、毎年現場納めはいつも東京ドーム、現場初はグローブ座でのイフオア観劇だった。本当に毎年楽しかった。

 そんな中、現場に行くことを辛く感じたのはすばるくんが退所することを決めた年だった。櫻井担のリア友と入り、途中までは「たのしい!大丈夫だ!」と思ってたのに最後ロマネがだめだった。すばるくんの声が聞こえないロマネは、思ったより寂しくて、私はボロ泣きしながら地元に帰った。私が好きになったときにはすでにエイトは7人で、私は7人しか知らないけれど大倉くんの「8→1」に救われていた気がした。だから、7人で歩むことが決まったときは泣いたけれど、多分それ以上にこの時は泣いた。私の中ですばるくんというのは、思ったよりもでかい存在だったんだとそこで気づいた。ただ、その時は降りる気はなくて落ち着いたらまたオタクしたいなと思いながら別ジャンルオタクとして生きていた。そうやって離れてるうちに亮ちゃんが退所して、気づいたときにはエイトは5人になっていた。

 今年、ひょんな事からジュニア担としてまたジャニオタ復帰し、またエイトのことも追いたいなぁと思っていたときに始まったのがドリアイだった。本当に楽しい一ヶ月で、今でもロスが抜けない。なにわの日から始まってウェストは苦渋の選択で見れなかったものエイト、Aぇ松竹関ジュ、なにわ男子単独、Aぇ単独まで走り抜けたのは本当にいい思い出になったと思う。

 結局降りる理由はわからない。けれどなにわの日披露したエイト×Aぇの「勝手に仕上がれ」と、Re:LIVE購入がきっかけになった気がする。私はここ数ヶ月でAぇ!groupを好きになったが、きっと全力でエイトを追いかけていた頃の楽しさを思い出しているんだと思う。あの頃の売れようと藻掻く彼らを応援していた幼い自分を、懐かしんでいるのかもしれない。それでも、Aぇのことを好きな気持ちも本当で、エイトと重ねて見ている部分と彼らにしかできない部分はどちらもあって、どちらも好きなんだ。今でも村上さんが好きだし、いつまでも元気でいてほしいと願ってる。ただ、私が応援していたあの頃のエイトはい意味で居なくなったのだ。これは失望ではなく、エイト希望見出しいるからこその担降りだと思っていて、きっと彼らはこれからも5人でしかできないことをやり遂げ輝き続けると思う。もうすでに降りていたようなものだけれど、ただ気持ち綴りたかっただけなのだ最後に、「10年後またここで会おうよ」の約束を守れなくてごめんなさい。もしかしたら現場は行くかもしれないし、CDも買い続けるかもしれない。それでも、私はもう村上担でもエイターでもない。ただのクソDDジャニオタで居続ける限り、あなた達を遠くから見守らせてください。

2020-04-23

新型コロナにおもうこと

岡江久美子さんが亡くなった。63歳だったそうだ。

うちの母は60歳、とても年齢が近い。

小学生中学生のころはなまるマーケットをみていた。

みていたと言っても平日は学校に行くからみられない。

夏休みとか冬休みとか。

長期休暇になるとはなまるマーケットをみながら朝ご飯を食べていた。

とても明るい方だったと記憶している。

明るくて、少し天然で、たまに強引なコメントがあった。

はなまるカフェおめざをおいしそうに召し上がっていた。

その姿は、うちの母によく似ている。

うちの母も、とにかく明るくて、小ボケかまし自分理論は強引なまでに主張する。

ちょっと悪口みたいな書き方になってしまったが、私はその強引さが好きだ。

自分気持ちをしっかり伝えられる強さが羨ましい。

話は逸れたが、学生の頃の夏休み、母は毎日仕事に行っていた。

私は一人ではなまるマーケットを見ながら、朝ご飯をもそもそ食べた。

毎日テレビに映る岡江さんに母を重ねていた。

別に母を亡くしたとかではない。

ただ、母のいない家は静かで寂しかった。

そんなひとりの家に、岡江さんの明るい声が響いていた。

それがとても心地よかったことを、テレビで岡江さんを拝見するたびに思い出していた。

母と重なる岡江さんが亡くなった。

私はとてつもなく悲しくなり、不安になった。

母もいつか死ぬ。当たり前のことを突き付けられた気がした。

新型コロナで亡くなったら、故人と対面もできないと聞く。

それを思うと、さらに悲しくなった。

家族の心情を思うともっともっと悲しくなった。

堪らなくなって母に電話した。

相変わらず、明るく笑っていた。

まだ実家に住む弟の愚痴はいていた。相変わらずだ。

声を聞いて安心した。

安心したと共に、近くに住めず、すぐに会えないことが口惜しい。

早くコロナが終息して欲しいと強く思った。

岡江久美子さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます

2007-04-21

綾瀬はるかの話

昨日電車の中で見た、カルピス広告で微笑んでいる長澤まさみがすばらしく可愛かった。

セカチューの頃とかどうでもよかったんだけどな……なんてことを考えていたら唐突に思い出したのが以下の出来事である。

綾瀬はるかが何かのドラマに出演する関係で、はなまるカフェゲストに出ていた。

当時のはなまるカフェは薬丸が「続いてはこのコーナーでーす」と振ると、

一人テーブルについているゲストが置かれている本を開き、

開いたページに書いてある「座右の銘は?」だとか「尊敬している人は?」等の簡単な質問を読み上げそれに答えてCM

CMが開けるとカフェの本番が始まる、という流れだった。

で、綾瀬はるか。本を開いてその開口一番

「よ、読めない……」

動揺する綾瀬はるかADあたりから指示が出たのか、他のページを開く綾瀬はるか

「これも読めない……」

スタジオ騒然……となったかどうかは不明だが、明らかにおかしな雰囲気でCMへ。

CMが開けると何事もなかったかのようにカフェが始まった。

トークの内容はほとんど覚えていないが、語彙が貧困だったり受け返しもイマイチ足りない感じだったことは覚えている。

それ以来、自分の中で綾瀬はるか絶望的に頭が悪い人という位置づけになったのだった。

 
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