引用先の意見には強く共感するのだが、その結果として、生きる苦痛を感じる人間が「反出生主義」を主張する理由がイマイチ謎だ。 だって、「反出生主義」が実現したところで、出産...
ただ、他人の不幸にはさらさら興味がない。 そういう態度だとそもそも倫理学的な規範は何も主張できなくないか? 君が通り魔に無惨に殺されても俺は嫌な思いしてないから。
生きるのが苦痛な人々が「反出生主義」を主張するのは、願望と行動が合ってない(そして「希望型安楽死」の方が合っている)っていう指摘なんだから、倫理学的規範とか関係なくな...
別に反出生主義は個人的な願望と全く無関係に擁護し得るけど、それこそ倫理学的規範としても、哲学的に真っ当な議論としても。だから個人的な願望どうこうというほうがむしろ関係...
話が噛み合ってないような? 「反出生主義」が擁護できるかはどうでもよくて、生きるのが苦痛な人々が「希望型安楽死」の実現でなく、自己の出生をキャンセルできる訳ではないとい...
要約すると誰か俺をなんとかしてだよな これは製造責任を問われるべき
「産まれる前に産まれたいと思う子供」←これ典型的な矛盾じゃん