わかった気がしたけど多分錯覚だろう
知覚の集まりが思考するわけないし 結局、知覚を受容している存在があるから知覚してるんであって こういう言葉遊びまがいのことで誤魔化そうとする学者ホント嫌いだわ
自我そのものが思考していると感じる事はある?
これを言葉遊びと言ってしまうのは些か軽薄すぎると思うぞ 人間の集まりの中に「社会」という実体のない概念が生まれるように 脳細胞やそれに限らず体全体の細胞がそれぞれの知覚...
体全体の細胞の知覚を共有することが思考だというならなぜ前頭葉が無くなっただけで思考できなくなるんだっつー話で 明確の思考と記憶を司るのは医学的に脳だって結論は既に出てる...
しかし知覚以外何があるかと言うと何も思い付かない