2011-02-24

ヘルマン・ヘッセ「我々が何者かを憎むとき――」


『我々が何者かを憎むとき、我々はその何者かの姿を借りて、自分自身の中の何かを憎んでいるのである

 ヘルマン・ヘッセ言葉。うろおぼえだけど。

 同じドイツ人では、ヘーゲルも似たようなことを言ってる。


 結局、あらゆる争いは、この終着点に行き着くものなんだ。

 つまり『本当に駄目なのは自分自身だ』っていうことにね。


 皆、多分そのことに気付かないフリをしてるだけなんだろうね。

  • 今の俺の憎しみは違う 奪われたこと一点のみの憎しみ もう返ってこないんだ

    •  アンタの憎しみは、『奪われたこと』に対する憎しみじゃなくて、奪った人間に対する憎しみだろう?  アンタの中にも、その『奪った人間』と同じ要素があるんだよ。だからこそ相...

      • 大切なことを奪われ病気になり、それを行った略奪者を憎むのは当然だろう あの略奪者と一緒にされては困るのだ

        •  硬直した私の観点から言わせてもらうと、やはり似ているのではないかな。  たとえば、貴方の憎しみを晴らすことのできる唯一の方法が『同じ喪失を相手に味あわせること』だった...

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