2010-08-04

ネグレクト死」、ぼくらのできること

母親放置され、2人が死んだ。

以下のような反応が多かったように思えた。引用部は適当に作った例。

1.母親のせいにする

「この母親は○○。特殊。よって、この件に関しては母親が悪い。」

2.社会のせいにする

「こんなことになったのは社会が悪い。○○という政策を実行するべき。」

3.個人個人のせいにする

社会が悪いというが、それはつまり悪いのは我々だ。我々が悪いのだ」

特徴として、「問題を消す手段」を考えてる、って思った。

1.の場合は、母親が悪いとすることで、問題自体を消す。

2.の場合は、我々の問題だといったん捉える。しかし、「政策の問題」ということにして、「民意が反映されない」という問題に統合してしまう。

3.の場合は、我々の問題だと捉え、その責任を引き受けようとする。だが、責任を引き受けるということが、「具体的にどういうことか」わかってない。その先がない。「とりあえず自白をする」ことによって、とりあえず事態を収拾しようとしているようにも見える。考えようによっては一番ひどい。

彼らは、「自分が一番罪悪感を感じない形」に現実を加工し、自分の中から「問題」を消そうとしているように見える。もうそれについて考えなくて済む状態にしようとしているように見える。

  • 全く話題に上がらない元夫と容疑者母の親族は何をしてたんだというのが最初に考えた僕は異端者ですか そうですか この件で行政が責められるのと、何もしてやらなかったくせに子ど...

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