例えば「救うこと」「守ること」が義務だと思うなら「救うこと」「守ること」を実行するべきところであって、それについて増田とかに書くだけじゃしょうがないでしょ、ってこと。それが、本当にリソースを割く、義務をこなすってことじゃないの。
納税の義務を果たそうと思ったら納税するんであって、納税の意義や理想を個人的なブログでだけ述べたって仕方ないじゃない?
もちろん、その人が納税せずに書くことで、周囲の人間に影響を与えて、現実的な「"その人の納税"以上の税収」を導けるんであれば別よ? それっぽいことを個人的にしてます、じゃなくてちゃんと現実の動きに影響できる思想的指導者になるってことね。
でもそんな現実的な効果をあげた事例、はてなの「関心ある人」たちから出たっけ?
派遣社員の貧困問題は重要、我々の問題だ、と盛んにネットでいっておいて、隣に住む実在の貧困派遣社員にはなーんにもしない、みたいなことにしかなってなくない?
さらにどうかと思うのは、100円払っているかどうかも怪しい人らが「100円の価値しかないもの」「ネットに文をアップする数十分の価値しかないもの(時給換算でいくらだろ)」のことを「人権が!」とか「平等が!」とか「卑劣なレイシズムが!」とか「搾取が!」「責務が!」とかいって、ときに無関心な人間や批判的な人間をののしることなんだよねー。
「関心がある人」たちは現実にはタッチしないし、ののしられた「さほど関心がない人たち」は消えるわけだから。
あんたらの「100円の価値しかないもの」なんかしらねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーよ!!!っていう。
横ですが。 もちろん、その人が納税せずに書くことで、周囲の人間に影響を与えて、現実的な「"その人の納税"以上の税収」を導けるんであれば別よ? それっぽいことを個人的にして...
いや、もちろん純粋な「義務の実行」はそうよ。法的な義務は法の下で運用されてるわけですから。 ただ、義務なり理想なりをそのものとして実行しなくても、かわりに相応の効果が実...
なので、ここで問題にすべきは、なにが「大人の義務」であるのかであって。 それが、「ブログや増田に書く」程度でよいのかどうか、それだけです。 本人の矜持としてそれで良い...