他人を手助けするのに余計なこと考えなきゃいけないのはやだっていうのは大人の発想じゃないよ
多分、ここの発想が違うんだよ。
余計な事を考えて、止める人は止めちゃうから、その人にとっては別に悪い事象じゃないんだよ。
単に助けない理由となるだけ。
そういう人間が嫌いだという、個人的感情も理解できるし、それは主張していいんじゃないかな。
その上で、そういうことがわかっても助けたい人はいる。
もしくは、助けたい意識が先立って、そういう事を忘れちゃう人も居るかもしれないね。
そうしたときに、今の社会は疑うことで安全を担保しているから、行動の前か後かは別として、助けたい人に対して余計な負担を強いる、という話さ。
良いとか悪いとかの話ではなく、単に事実してね。
だから、善意で行った行為がちょっと間が抜けていたとき、その人は攻撃されてしまう。
善意だったんだろうと考える前に、疑ってしまうからね。
で、その善意を疑う思考は、「善意を行う人間が最善の行動を取らなかった」のが悪いからと肯定されている。
私に言わせりゃどっちもどっちなんだけど、やっぱし「視点が違う」だけじゃないかな。
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「助けなければ大人じゃない」といってるんじゃなくて、「助ける時に相手の事情を考慮できないなら大人じゃない」と言ってるだけだからなあ。 そこまで考慮してやっとれんというな...
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もしくは、助けたい意識が先立って、そういう事を忘れちゃう人も居るかもしれないね。 そうしたときに、今の社会は疑うことで安全を担保しているから、行動の前か後かは別として...
そこまで考慮しないと人助けすらしちゃいけない、という雰囲気を作り出したクソ共がうぜえ。 横だけど。