もしくは、助けたい意識が先立って、そういう事を忘れちゃう人も居るかもしれないね。
そうしたときに、今の社会は疑うことで安全を担保しているから、行動の前か後かは別として、助けたい人に対して余計な負担を強いる、という話さ。
なるほど、そういう観点の話か、了解。
「手を差し伸べる」立場の人は、基本的には差し伸べられる人よりも立場的に上のことが多いのと、善意のことをしているという意識から独りよがりになりがちという観点から、「手助けしようとする時の心構え」は手助けする側に必要というのがこちらの話。
そしてやっぱりひとりよがりな援助は批判されるべきだと思うし、援助する側は常に自分がやっていることは正しいのか自分に対して問いただし続けなきゃいけないね。援助する側は援助される側に対して構造的に強者であることが多いことは、自覚しておくべきだと思う。
「援助してあげたい」という気持ちがあるならどんなやり方でもいいという考え方が間違っているのであって、「援助してあげたい」という気持ちは気持ちで評価しつつも、同時にやり方については検証されるべきという言い方なら納得してもらえるかな?
で、それは疑うことで安全を担保してるからとか関係なく、援助-被援助関係では常に考えなきゃいけないことだと私は思ってるんだ。
やり方が間違っている場合は、「援助してあげたい」という気持ちまでそれは嘘だと叩くんじゃなくて、ただ、「援助自体は間違っていないのだけれどそれはやり方が間違っているんだよ」とだけ言ってあげればいいと思う。
そして「援助したい」と思った気持ち自体は評価すべきというのにも賛成です。
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1、「どうしたの? 何か困ってる?」とまず声をかける。 この時点ですでに不審者だ。 それが現実だよ。 その認識はそれで正しいけど、「だから何?」という。 大人だって、...
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もしくは、助けたい意識が先立って、そういう事を忘れちゃう人も居るかもしれないね。 そうしたときに、今の社会は疑うことで安全を担保しているから、行動の前か後かは別として...
そこまで考慮しないと人助けすらしちゃいけない、という雰囲気を作り出したクソ共がうぜえ。 横だけど。