国民の代わりに議論を行う。
国民が直接政治に関わろうとすると、まとまりがなかなか付かなかったことからできたシステムである。
ここで僕が問題にしたいのは、直接政治への回帰とか、ネットをつかった云々の話ではない。
どうにも、この国民の代理人であるということがすっかり忘れられて、”政治主導”という言葉が
なんだかカッコいい決め言葉のように振り回されている事を問題にし、現状の”政治主導”がただの”政治家主導”であることを指摘して
もはやそれは害悪以外の何者ではないという話をしたい。
”政治主導”は政治家と官僚の関係性から注目されはじめた言葉である。
その歴史のなかで、官僚たちは自分の利益を最大限にせんと、天下りをしたり癒着をしたりして私服を肥やすシステムを行政システムの中に紛れ込ませてきた、
これらは事実であり、是正されるべき問題だ。
しかし、官僚たちは、各省庁にて何年もそれぞれの持場の問題を担当している”プロ”でもある。
行政マシンとして採用された高スペックな人間である(私利私欲があることは別として)。
国民全体が何を思っているのかはしらなくても、各個の問題について一番理解しているのは彼らである。
手のひらでころがせるほど、彼らは極めて居るのである。
もちろん良く勉強をしているだろう。しかし、どうあがいても各個の問題のプロには勝てない。
兼業したり、月単位で交代する大臣たちがどうやってプロになろうというのか。
そもそもその交代劇ですら、選挙対策の内閣改造によって行われているというのに。
よく勉強し、行政マシンたる官僚がどの方向に向かって欲しいと国民が思っているのかを指し示し、、
官僚が国民の意思に反する行動を行わないか監視することが仕事である。
つまり、高性能な暴れ馬の手綱を取っているという状態が望ましい。
馬に足のおくりかたを逐一説くのは無用であり、代議士の仕事ではない。
手綱さばきが素晴らしければそれでいいのである。
現状の話に進む。
政治主導を謳う現政府は手綱を取れていない。ただ手綱を取りたいという政治家の欲はよく見て取れる。あらゆる問題において。
(これが自民党政権だったらどうかという議論を今しても意味はないし、恐らく同じ問題・違う問題が起こっているだろうからやはり意味はない。)
「手綱は握りたい。でも意思決定はしたくない。」状態だ。
普天間の問題については、外交上の戦略があるので問題が複雑なのはわかる。
「口蹄疫が広まらないようにしろ」
たったこれだけである。
そして、優秀な行政システムはこの一言で出来る限りの事をしてくれる。
今まではそうだったし、現在の官僚たちのスペックがそう劣っているとも思わない。
残念なことに現状では、政治家が如何に行政にコミットしているかをアピールしたいらしい。
逐一足の進め方止め方に口出す結果、すべての問題が遅延している。
"政治主導"のつもりが"政治家主導"になってしまっており、したがって問題は「国民の総意の反映」ではなく、
「いかにおやまの大将に見せかけていられるかへの苦心」に変化している。
イギリスにおいて、口蹄疫が猛威をふるった折には政治家は代議士として政治にかかわる。
国民の代わりに議論を行う。
国民が直接政治に関わろうとすると、まとまりがなかなか付かなかったことからできたシステムである。
ここで僕が問題にしたいのは、直接政治への回帰とか、ネットをつかった云々の話ではない。
どうにも、この国民の代理人であるということがすっかり忘れられて、”政治主導”という言葉が
なんだかカッコいい決め言葉のように振り回されている事を問題にし、現状の”政治主導”がただの”政治家主導”であることを指摘して
もはやそれは害悪以外の何者ではないという話をしたい。
”政治主導”は政治家と官僚の関係性から注目されはじめた言葉である。
その歴史のなかで、官僚たちは自分の利益を最大限にせんと、天下りをしたり癒着をしたりして私服を肥やすシステムを行政システムの中に紛れ込ませてきた、
これらは事実であり、是正されるべき問題だ。
しかし、官僚たちは、各省庁にて何年もそれぞれの持場の問題を担当している”プロ”でもある。
行政マシンとして採用された高スペックな人間である(私利私欲があることは別として)。
国民全体が何を思っているのかはしらなくても、各個の問題について一番理解しているのは彼らである。
手のひらでころがせるほど、彼らは極めて居るのである。
もちろん良く勉強をしているだろう。しかし、どうあがいても各個の問題のプロには勝てない。
兼業したり、月単位で交代する大臣たちがどうやってプロになろうというのか。
そもそもその交代劇ですら、選挙対策の内閣改造によって行われているというのに。
よく勉強し、行政マシンたる官僚がどの方向に向かって欲しいと国民が思っているのかを指し示し、、
官僚が国民の意思に反する行動を行わないか監視することが仕事である。
つまり、高性能な暴れ馬の手綱を取っているという状態が望ましい。
馬に足のおくりかたを逐一説くのは無用であり、代議士の仕事ではない。
手綱さばきが素晴らしければそれでいいのである。
現状の話に進む。
政治主導を謳う現政府は手綱を取れていない。ただ手綱を取りたいという政治家の欲はよく見て取れる。あらゆる問題において。
(これが自民党政権だったらどうかという議論を今しても意味はないし、恐らく同じ問題・違う問題が起こっているだろうからやはり意味はない。)
「手綱は握りたい。でも意思決定はしたくない。」状態だ。
普天間の問題については、外交上の戦略があるので問題が複雑なのはわかる。
「口蹄疫が広まらないようにしろ」
たったこれだけである。
そして、優秀な行政システムはこの一言で出来る限りの事をしてくれる。
今まではそうだったし、現在の官僚たちのスペックがそう劣っているとも思わない。
残念なことに現状では、政治家が如何に行政にコミットしているかをアピールしたいらしい。
逐一足の進め方止め方に口出す結果、すべての問題が遅延している。
"政治主導"のつもりが"政治家主導"になってしまっており、したがって問題は「国民の総意の反映」ではなく、
「いかにおやまの大将に見せかけていられるかへの苦心」に変化している。これはもはや害悪である。
イギリスにおいて、口蹄疫が猛威をふるった折には数兆円規模の経済損失をだしたという。
現政府のいう政治主導は政治家の幼稚な自己表現の場にしかなっていなく、むしろ害悪であることに気がつくべきである。
とっとと指示をだせ。
ビール片手に長々書いた。
悪文ごめん。