個人的にはツリー的にしかつながらない社会、パーフェクト・フラットな社会ってのも
構築するだけなら可能じゃね?って気がする。(維持出来るとは言わない)
そして、フェミの皆さんが目指してる社会ってどう考えてもこっちじゃね?とスゲー思う。
「社会とのつながり」っていうのは色々あって、我々が「社会から断絶された」と感じるときっていうのはまず
「職がねえ」とか「どこにも所属してねえ」「意見がどこにも言えねえ」「選挙権がねえ」みたいな、公的な集団からの断絶が最初にあり、
次に「友人がいねえ」とか「もう半年も誰とも喋ってねえ」みたいな、私的集団からの断絶が起こり、
最後に「金がねえ、メシもねえ」みたいな社会システムからの断絶が起こる。
この三段階(実際にはもっと細かく分ける必要があるかもしれないけど)を
全部同一としては語れない。
家庭っていうのは、半私的、半公的なイデオロギーで、
とりあえず家庭に所属しているという事実が、「断絶」から人を多少なりとも掬い上げる効果があるし、
それ以上の断絶からのセーフティネットとして機能してると思う。
とりあえず、家庭にあれば相互扶助として生活を支えてもらうことも出来るし、
社会との関わりをそこから再構築していくことも、独りでいるよりはずっと容易になる。
個人と社会を繋ぐには色んな方法があるけれど、「家庭」というイデオロギーは
その様々な段階において、「つながる」ことを補助する作用があるだろう、って言いたいわけ。
そしてもう一つ言いたいのは、フェミの皆さんが目指してる社会ってスッゲーキモい全体主義社会だよね!
ってこと。
まー、なんにせよ「家族」制度はそれが単なるイデオロギーに過ぎないとしても、
制度上として相当有益ですよ。「改善」するならともかく、「解体」する必要はねえだろーよ。
つか、今だかつて「家族」が消失した後人と社会の間に立つ緩衝材を提示するフェミを見たことねーよ。
アホじゃねーのかあいつら。壊すだけなら誰でも出来る、問題はマルクスの失敗やヒトラーのアレを見た後に
人と社会のあり方をいかに構築し、ベターな方向へ持ってくかだろうと。
壊したってしゃあねんだよな、んなこたー数十年前に随分やってみたんだから。
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