その通りだと思う。
家庭というのは、社会と人間の関わりの間の緩衝材としての役目もある。
もちろん、「友人」とかもそうだけれど、「家庭」という制度が強固にあることによって
社会から断絶-疎外された人がその社会との関わりを辛うじて保つことが出来るし、
社会からの重圧や疎外をある程度緩和する作用を持ってる。
人と社会が個として結びつくってのは、とんでもなく恐ろしい全体主義的社会ですよ。
リゾームかツリーで言えば超ツリー。あるいは一望監視システム、囚人のシステムですよ。
こんなん、とっくの昔に「いい加減やめよーぜ」ってことになってる社会制度の筈なんですが
フェミの皆さん、脳みそ腐ってるか1940年辺りの時代に取り残されてるんじゃないですかね。
しかし、ホントに不思議。
日本のフェミの親玉はミシェル・フーコーの教えを受けた人のはずなのに。
何でこんなにアホなのか。死ねばいいんちゃうか。
「社会と個人が直結」した社会だと、社会と断絶した個人は「いない人」=「いらない人」=「無意味な人」だから社会にとって関係なくなるんだよ。 社会とのかかわりが太い個人ほど...
その通りだと思う。 家庭というのは、社会と人間の関わりの間の緩衝材としての役目もある。 もちろん、「友人」とかもそうだけれど、「家庭」という制度が強固にあることによって ...
個人と社会をつなぐのは、普通はそれこそリゾーム的な人間関係じゃないかな。 人間関係を普遍化させて場を想定すると社会。社会から人間関係を切り取ると所属集団。社会に関しては...
個人的にはツリー的にしかつながらない社会、パーフェクト・フラットな社会ってのも 構築するだけなら可能じゃね?って気がする。(維持出来るとは言わない) そして、フェミの皆さ...