「イソップだったかアンデルセンだったか忘れたけどさ、『幸福な王子』って童話があったじゃん?」
「『幸福な王子』はイソップでもアンデルセンでもなくて、オスカー・ワイルドの作品ね。正確には童話じゃなくて短編小説。宝石と金箔に彩られた王子の像が雨宿りに来たツバメに頼んで、自分の身体を貧しい人々に分け与えていくのだけど、その結果みすぼらしい姿になり果てた王子は溶鉱炉に持っていかれてドロドロに溶かされました。そして溶鉱炉では溶かせなかった王子の鉛の心臓は凍えて力尽きたツバメと一緒に分別もされずにゴミ捨て場に捨てられましたっていう嫌ぁなお話。それがどうかしたの?」
「そうそう、それそれ。僕はその王子とブロガーって似てると思うんだよね」
「え? どこらへんが?」
「ブログを書くってのはさ、王子が自分の身体を分け与えたのと一緒で、その人の心や考えを切り売りしていってるようなものだと思うんだ。けど、どんな凄い人だって余程の天才じゃない限り、毎日毎日面白いことばかり書き続けていくことなんて出来やしない。書き始めた当初は書きたいと思って色々頭に溜めていたことも、短くて数ヶ月、長くても二、三年もすれば、すっからかん。そうしてブログの内容もどんどん自己模倣に陥って、最初の方は面白がって読んでくれてた読者の人も飽きていずれは去っていく。最期は王子とツバメみたいに誰からも省みられない存在になっていく…………そう考えるとブログを書くってのもなかなか寂しいものだね。」
「ふーん。ところで君は捨てられた後の王子とツバメがどうなったか知ってる?」
「いや、知らないけど……」
「ゴミ捨て場に捨てられた後の二人のところに、『町の中で最も貴いものを二つ持ってきなさい』って言われた天使が訪れてね、天使はそこに捨てられていた鉛の心臓と死んだツバメを神様の所に持ってきました。そして、二人はそれからいつまでも天国で幸せに暮しましたとさ。めでたし、めでたし」
「無理矢理ハッピーエンドにする為の、とってつけたような結末だね」
「そうかもね。だけど本当に大切なのはね、鉛の心臓を持つってことなんじゃないかな」
「鉛の心臓?」
「そ、全てを失って、誰からも相手にされなくなって、溶鉱炉で溶かされたとしても、残り続ける鉛の心臓。ブログで言うならば、たとえ誰からも読まれなかったり、嘲られたとしても、決してぶれることのないその人の芯の部分」
「…………」
「誰かに読まれたい、認めてもらいたいってのは、ブログに限らず物を書く人ならみんな思う当然のこと。けどね、そんな理由“だけ”で書き続けていったら、遅かれ早かれ誰だって行き詰るわよ。誰かに読まれるってのはあくまで結果なんだから」
「けど、誰からも読まれないってのはやっぱり寂しいよ」
「いいじゃない、別に。それでご飯を食べていくわけじゃないんだし。本当に大切なのはね、なにか思った事や感じる事があった時に、言葉にして誰かに伝えようとする衝動なの。もし、書きたいことが無くなったらすっぱり更新を止めればいい。そして書きたくなったらまた勝手に書く。たとえ書いた時は誰からも読んでもらえなかったとしても、その文章が、ひょっとすると未来のどこかで誰かが読んで、笑ったり、共感してくれたり、勇気付けられたりするかもしれない」
「そんなの夢見がちな奇麗事だよ」
「せっかくのお正月なんだし、奇麗事を言ったっていいじゃない。虎は死して皮を残し、ブロガーは死してブログを残す。寅年にかけてみたんだけど、どうこれ?」
「あんま上手くない」
「そーですか、そーですか。まぁ何はともあれ、あけましておめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」