「国事行為」には当てはまりそうもないけど、どう見ても「私的行為」ではない「公的行為」っぽいのもやってるけど、これってどうよって話。
1.否定説
そんなものは違憲じゃという説。
公的行為は国政に関する権能であり原則禁止されてるので、天皇陛下の公的行為は憲法が許している国事行為以外は認められんというわけ。
これに対しては、「いや、そうはいっても、現実的でないっしょ」という批判がある。
2.国事行為説
いやいや、この手の公的行為は、実は憲法7条10号の「儀式を行ふこと」に含まれるので国事行為なのさ、って説。
お言葉のべるのも、中国のなんとか閣下に会うのも、なんとか式典に出席するのも、何もかもみんな儀式だよーんってこと。
国事行為だから内閣の助言・承認に基づいて行われるので、責任は全部内閣に帰するってことで丸く収まる。
これに対しては、「拡大解釈しすぎじゃね?」という批判がある。
3.準国事行為説
たとえば、「外国の大使及び公使を接受すること」が国事行為なら、「外国の大統領とか首相とかを接受すること」も準国事行為として認められるだろうみたいな説。
国事行為に準じて処理される=内閣の助言・承認に基づいて行われるので、責任は全部内閣に帰するってことでOK。
なるべく限定的に解釈しようとする説みたいだけど、判断基準緩めちゃうとどこまでもゆるゆるになる可能性もある。
4.象徴としての行為説
天皇陛下が象徴といっても、写真に写ってるお姿だけが象徴ってわけではなくて、当然その行為も象徴としての機能を帯びるわけで、この手の公的行為は象徴機能の一つとして考えればいいんじゃね、って説。
5.公人的行為説
首相とか市長とかって、その公人としての地位に伴って、いろんな社交的儀礼的なことをしてるじゃないか、天皇も公人には違いなのないのだから、同じだと思えばいいんじゃね、って説。
なんとか式典に出席したとか、なんとか式典で挨拶したとか、外国のえらい人と会談したとかっていうのは、市長だろうが天皇陛下だろうがやってることは同じさ、ってこと。
4、5については、その公的行為がどうしても担ってしまうところの政治的効果と「天皇陛下は国政に関する権能を有しちゃダメ」ってところをどう折り合いつけるのかって話がどうしても出てきてしまう。
これについては、国政に関する権能を誰か別の人が肩代わりして、天皇陛下はそれに従うだけって形をとるのが一番簡単という考えが真っ先に浮かぶところ。
じゃあ、肩代わりするのは誰だって話になる。
普通は、国事行為に準じて内閣がやるのが妥当だろうって話になりますわな。天皇陛下に関する事務はあえて分類するなら「行政」なわけで、行政権は内閣に属するんだから。少なくても、国会や裁判所の仕事って気はしない。
で、天皇陛下の公的行為に何か問題あるなら、責任者である内閣がきっちり説明すると。論争したいなら、国会で政府と議員でバトルしてよってこと。
国事でなくて公的行為なら陛下ご自身の意思が尊重されるので、会見は陛下の意思が反映されていると見なくちゃならない。 どっちにしろ法的な問題は生じえないよ。気分の問題だね。