2009-11-25

なぜ「けいおん!」のストーリー性は薄いのか

あずまんが大王から始まる系譜、以降、らき☆すたけいおん!のような四コマ漫画からアニメ化された作品はストーリー性が薄い。多分、もう誰かが言っているような話だと思うが、この辺を少々書きたい。

まず、物語というのは、主人公が「非日常」の世界へ行って帰ってくる、あるいは来ないという構造が基本である。しかし、上記のような作品はどうか?

まず、原作は「日常系」四コマ漫画である訳だが、日常系と四コマは抜群に相性が良いという事実が一つある。なぜなら、「彼ら」の日常も我々の日常と同じく、基本的にエピソードの連続だからだ。そこに物語性はあまりない。

さて、日常四コマ漫画流行る前に、四コマ業界を席巻したジャンルがある。

「不条理」四コマ漫画である。

つまり、読者がずっと「非日常」に浸かっているようなジャンルであり、「不条理」四コマ漫画から、「日常系」四コマ漫画の流れは、「あちらの世界(非日常)」から「こちらの世界日常)」へ回帰したという見方も出来ると思う。

……ただ、思うのは、「日常系」四コマ漫画は、本当に「日常」を語っているのか?という疑問である。何が言いたいかというと、「日常系」四コマ漫画で語られる日常というのは、大半のアニメファンにとっての非日常ではないかということだ。要するに読者や視聴者にとっての逆転現象が発生する。惨めな現実を送っている者には、「不条理」四コマ漫画現実理不尽さのリアリティであり、「日常系」四コマ漫画には、自分が浸かっていたい、例えば、失われた青春理想学生時代への妄想・空想世界として、今現在需要があるのではないか。

この仮説を、「事態はもっと深刻になっていることか」と捉える人もいれば、「現実を忘れるための需要がある以上、そこに救いの手を差し伸べるべき。そこにビジネスチャンスもあるはずだ」と捉える人もいるかも知れない。個人的な意見を言えば、どちらでも良いし、あくまで四コマ漫画漫画の中のサブジャンル的位置づけ・周辺ビジネスであり、とても魅力的な題材(具体的には、政治プロ野球初音ミクエヴァンゲリオンドラクエなどの強力な題材)があって、初めて活きるものという気もしないでもない。

言い方は悪いかも知れないが、「あずまんが大王」や「コージ苑」にせよ、雑誌の中では割と「おまけ」的な立ち位置(少なくとも初期は)だったような気がしている。だから、「けいおん!」も、ストーリー性の強い作品があってこそ、肩の力を抜くという意味で、相互補完的によりその魅力が映えるのかも知れない。(……割と面白くない穏便な結論になった)

  • もうちょっと大枠で捉えよ。これは「けいおん!」の問題ではなく、ゼロ年代の問題でもある。 普段漫画をあまり読まない諸君。とりあえず週刊少年ジャンプを開いてみよう。君の知っ...

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