印刷された新聞にだって、同じ日付の同じ記事でも、いろんなバージョンがあるんですけどね。
(参考: http://www.yomiuri.co.jp/nie/note/feature/arekore/03.html )
その上で、だ。
新聞の場合、印刷されて固定されたものとして、なおかつ、版数が併記されたものが、紙媒体として保存される。しかも、当然ながら版数毎に別々の「紙」で存在する。それゆえ、「どの時点(版数)で、どういう記事が存在し、どういう論評をしていたか」が、記事更新後にも新聞「紙面」でもって追跡可能である。もちろん、さまざまな版数の情報を手に入れることができるならば、という条件付きではあるが。
対してネット上の、特に朝日新聞のサイトの場合は、更新時間は併記されるものの、同一のURIでいろいろな版数・論評の記事が掲載される。これでは、過去に掲載されていた内容を、朝日新聞のサイト単体では追跡することができないし、関連記事との相互関連性も追跡できない。
(ここでいう「関連記事との相互関連性」とは、「どの時点で、他にどういう記事が存在し、そこでどう書かれていたか」という、時間軸上の相互関連性を指すことにする。つか、関連記事との比較については、それこそネット(web媒体)の得意とするところだ。真っ当なニュースサイトであれば、関連記事に相互リンクを貼って、まさに情報の「web(蜘蛛の巣)」を構築するはずだから)。
そこで、web魚拓の必要がある。「この時点で、少なくとも『この記事』『このURI』では、こういう論評をしていた」ということを明確にするために、web魚拓を使って保存しておかなければいけない。そうしないと、上述のような版数ごとの記事の追跡ができないし、それを担保する証拠が消滅するということだ。それがなぜ問題になるかといえば、その情報を元に議論しようとする複数人が、それぞれ「どの時点」の情報を知っていて、またその主張の真偽が不明になるからだ。
結局どうすればよかったのか、というか、これからの新聞サイトがどう進化して欲しいか。少し提案をするとすれば、以下のことが挙げられる。
ただ詰まるところ、情報リテラシーの違い・格差が影響しているんだろうなと思う。古くから新聞業界にいる人、旧来の広告屋、技術屋としてネット業界に深く携わっている人、ネット論壇(いわゆるアルファブロガー)で肥えている人(いや、dankogai的な意味じゃなくて)、web業界でないビジネスで生きている人、...、一般さん、などなど、それぞれの世界で「当たり前」と思っている情報リテラシーが違うから、そういう思いの違いが出てくるのだろうとは思う。