2009-10-20

左派の懐古する「家族経営」の実情は、単なる年齢差別による抑圧そのもの

亀井静香金融担当大臣の発言が静かな波紋を広げている。

経緯を振り返っておく。発言の要旨は以下の通り。新聞記事(日経ネット)を引用する。

亀井静香郵政・金融担当相は5日、都内で講演し「殺人事件の半分以上が親子兄弟夫婦の殺し。こんな国は日本だけだ。人間人間扱いしないで利益を上げるための道具としてしか扱わなくなったからで、大企業責任を感じなきゃ駄目だ」と述べた。》

殺人事件のデータを持ってきて、それに対して大企業責任を感じろというのは、誰が見ても「言いがかり」だ。でなくても、「それとこれとは別」と言われても仕方のない話だ。

しかしそれ以前に、毎朝朝礼で社歌を歌うみたいな「家族的」な企業には到底適応できないと私は三十年前からそう思っていた。

懐古主義左派の言うように、「家族経営」に一定のあたたかみがあったことは、おそらく事実だったのだと思う。 が、その一方で、昔の日本の「家」をイメージした経営理念には、「家族みたいに自他が未分化」で「家族のようにだらしなくもたれ合って」いるネガティブな側面があった。

社内には、「お父さんの命令には黙って従うべきだ」式の抑圧がセットアップされ、「子供理屈を言うものではない」的な圧政が渦巻いていた。そういう、他人を他人として扱わない(つまり、年齢の若い社員を「子供」扱いする)風潮があったからこそ、家族経営は頓挫したのだ。

実際、会社社員の「面倒を見る」というフィクション(実情はこれもすこぶるあやしいものだった)の裏で社員には「献身」と「服従」が期待されていた。無論、会議は「理屈を言うな」ぐらいな原則で動いており、下っ端が意見を言うことは、「生意気」ということで排除されていた。以心伝心江戸時代の宮仕えもかくやの息の詰まる同調圧力

さらに厄介なことに、家族経営企業は、身内には優しくても、外部の人間に対しては、無関心かつ冷淡であり、時には冷酷でさえあった。身内大事の原則は、経営者社会的責任に対する無感覚を招き、法令遵守の原則をさえ無視させていた。そして、「会社のために正しいことは全社員にとって正しいことだ」とする歪んだ倫理観は、職場企業犯罪の温床にしてさえいた。ロッキード事件などの汚職事件をはじめとする、反社会的企業活動の裏には、「黙ってついて行く」物言わぬ子分たちの存在があった。そういう側面もあったのである。

とにかく経団連は、雇用の確保と労働条件について責任を持ってくれれば良い。それ以上の責任は無い。

というよりも、企業雇用より先のことに関わるべきではないのだ。

従業員の人生観は、元来、会社とは無縁なものだ。

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