2009-09-09

司馬遼太郎日本新聞

坂の上の雲」より抜粋。

 日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。日本をめぐる国際環境日本の国力などについて論ずることがまれにあっても、いちじるしく内省力を欠く論調になっていた。新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちには太平洋戦争にまで日本を持ちこんでゆくことになり、さらには持ちこんでゆくための原体質を、この戦勝報道のなかで、新聞自身がつくりあげ、しかも新聞は自体の体質変化にすこしも気づかなかった。

 戦後ルーズヴェルトが、

 「日本新聞右翼化」

という言葉をつかってそれを警戒し、すでに奉天会戦の以前の二月六日付の駐伊アメリカ大使マイヤーに対してそのことを書き送っている。「日本人戦争に勝てば得意になって威張り、米国ドイツその他の国に反抗するようになるだろう」というものであった。日本新聞はいつの時代にも外交問題には冷静を欠く刊行物であり、そのことは日本国民性の濃厚な反射でもあるが、つねに一方に片寄ることのすきな日本新聞とその国民性が、その後も日本をつねに危機に追い込んだ。

日本メディアは100年前からまったく進歩していないし、反省もしていない。

もちろん国民にもその責任の一端はあると思うが、マスゴミをなんとかしないといけないのは間違いないようだ。

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