村上春樹は選挙に行かないらしい。確かに昔エッセイで読んだような記憶があるのだが、理由はなんだっけ?「マイナス3とマイナス4を選ぶのはバカらしい」だったような記憶もある。だけど、もしマイナス3とマイナス4がはっきりしているのならば投票しないで結果をランダムにするよりマイナス3を選ぶ方が明らか有利。まさかそんな馬鹿げた理由じゃないだろうと、ググってみたのだがこれがまたはっきりとは出てこない。で、いくつか見つかったのが以下;
その218番目の質問「村上さんはなぜ投票にいかないの?」28歳の主婦(p169~p170)
その返事:今の選挙制度に砂を噛むようなむなしさしか感じられない。投票だけが政治行動ではない。個人の生活の中にも政治行為がある。全共闘運動の自己批判から発している。
投票しないことも政治行為である。【要約・杉山巡】
正直、あまり意味が分からない。砂を噛むようなむなしさをって何だろう?穿った見方をすれば「俺は強い影響力を持ってる。投票しても意味があるのかないのか分からない薄いペラペラの一枚の投票用紙などに興味はない。」ということなのかな?いずれにせよ、村上春樹は民主主義というシステムが嫌いなんだろうね。一票の影響を実感できる民主主義など存在しないんだから。
以前読んだ村上春樹のエッセイでは、自分は選挙には行かない、と書いてあった。なぜかと聞かれて村上が答えるには、作家というポジションで、自分なりに政治に対してコミットしているから、ということだったと記憶している。村上の文章は好きだが、この姿勢には同意しかねる。選挙というのは、職業、性別、など、個人の属性を離れたところにあるものであって、村上の一票も、せっちーの一票も等しく一票と扱われるところに意義がある。そしてそれこそが普通選挙制の肝である。非常に大切な権利だ。この最低限の権利をないがしろにして、個人的コミットでよしとするのは、実はそれは砂上の楼閣のような言説にすぎないといえるのではないだろうか。選挙に行かないことが何かかっこいいことであるかのように、村上の考えを曲解する人間がいるのではないかということも危惧される。
まさにそのとおりで、民主主義は金持ちも貧乏も勝ち組も負け組も同じ一票をもつことに意味がある。壁と卵で例えるならば、このときばかりは全員が「卵」だ。そして全員が卵になるからこそ、壁を変えれるし壊せるし作り直せる。
最も効率的な生産性を持つ一方で格差を生み出す自由資本主義。
コミュニティの中の一人ひとりが等しく同等の権利を持つ民主主義。
互いが互いの欠点を補完し合ってきたからこそ、この二つは高い親和性を保ってきた。
村上春樹は卵の側に立っていたいだけで卵にはなりたくない、ということなのだろうか?
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/26ca7359e6d2d15ba74bcdf9989bee56 村上春樹のイスラエル賞の受賞スピーチが池田信夫ブログに上がっていて、日本語訳も作った人がいるんだけど、どれもしっくりこなか...
村上春樹は選挙に行かないらしい。確かに昔エッセイで読んだような記憶があるのだが、理由はなんだっけ?「マイナス3とマイナス4を選ぶのはバカらしい」だったような記憶もある。だ...
例えば村上春樹の影響力が1000票分だとしたら、1票の影響力になんか興味もてないだろそりゃ。 庶民は1票しか持ってないんだから1票を大事にするのは当たり前なんだよ。