2009-04-02

どこにあって誰が変えるのか - メディアと公平性

批評や批判というものは、創造的に生きる上では不可欠なものだが、広く一般的に批判されているもの、特に否定的に捉えられているものについては扱いに注意を要する。

誰もが否定するようなものは、悪であることがハッキリしていて、自分も否定しやすい。

このとき、尻馬に乗って同じ批判をより大きな声で、より徹底的に為そうとするのは愚かという他ない。

このような愚劣は、社会ネタを扱うワイドショーバラエティ番組に多く発揮される。筆頭株はみのもんた朝ズバだろう。報道番組ではないので基準が甘くて良いと考えているなら大きな間違いで、むしろ一定の属性にとっては、こちらのほうが大きな影響を持つのではないか。

もっとも、現状のマスメディアに公平中立を求めようとは思わない。これは当たり前の話だが、彼らが広告モデルで商売している以上、スポンサーの意向から逃れられるはずもない。

ただ、その現状をひた隠しにして、さも公平性を厳守しているかのように装うことに大きな問題があるのだ。そんなことをするから、甘ったれた視聴者が、番組内容に対して、主観的であるという理由で抗議してきたりするのだ。

マスメディアスポンサーから金をもらってスポンサーの影響を受けて番組を作っていると言うことを、報道においても言明すべきだ。それは何も悪いことではない。自信を持って、取材を元にした独自の論評を展開してもらいたい。

それでも本当に公平中立な報道を望むのなら、広告モデルではない機関が必要になるが、ではNHKは本当に客観的中立的なのかというと、そうでもない。そもそも客観的に完全な中立性というのはあり得ない。これは言語の時点で矛盾している。中立性を観察するには常に視点が必要だ。これは主観的でしかあり得ない。

尤も、マスメディア内部にも良識ある人は少なからずいて、こんなことは先刻承知だ。しかし、まだまだ主流派とは言えないし、こんな意見経営トップを動かすこともない。

なぜか。それは視聴者が気にしていないからだ。視聴者は「悪い奴」を徹底的に叩くショーを欲している。ならば、そういう番組を作って視聴者の喝采を煽り、その中で巧妙にスポンサー企業利益になる情報を紛れ込ませる方法が一番賢いと言える。

これは政治が良くならないメカニズムと同じで、政治を変えるには有権者意識改革番組を変えるには視聴者意識改革が必要なのだ。

我ながら青臭い。青臭くて良かったと思う。

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