http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/20090326/1238054549
いろいろな論点があるわけですが、ひとつ たいせつな点が論じられていないように感じました。それは、日本社会において、多数派である日本人は「本名と通名」のジレンマを かかえていない。それにたいして、少数派である朝鮮系の住民だけが「本名と通名」のジレンマに なやまされている。その非対称性が問題だということです。関係が不平等だということです。
日本社会で、「在日」として朝鮮系の住民が生活している。そのことに 敵意を むきだしにする日本人がいる。その敵意が具体的な暴力として あらわれてきた歴史がある。それゆえ、なまえを なのることができない。恐怖心を いだいてしまうから。いえ。日本人が恐怖心を あたえているから。
liangさんは、つぎのように かいています。
崔や金を名のることは、均質化された日本社会に亀裂を差し込む、大日本帝国の植民地主義をはじめとする戦争の災禍のいまなお解消済みでないことを際立たせる、という意味では無意味なことではない。
「均質化された日本社会に亀裂を差し込む、大日本帝国の植民地主義をはじめとする戦争の災禍のいまなお解消済みでないことを際立たせる」という「本名」が、朝鮮民族古来の名前でも