幼稚園児の頃のことをに思い出した.
命の大切さを教えるには格好の機会だと思ったのだろう.
その時はたぶん「自分は蟻を殺しているんだな.
それはやってはいけないことなんだな」と考えたのだろう.
でも今考えてみると,「潰して」いたけれど
「殺して」いるつもりはなかったような気がしてきた.
確かに結果的には同じことなのだけれど…
それで今日ふと疑問に思ったのが,
意図的に人を殺すことができるのだろうかということ.
「殺す」という言葉が氾濫しているけど,
仮にそういうものや他人から影響を受けていない人がいたとして
その人でも,よくある「カッとなってやった」という場合に
「殺った」になってしまうのだろうか?殺すという概念を
知らないのにカッとなって何を「やって」しまうのだろう?
というのが今日沸いた疑問.
本能的に食べるのだからそうだとも言えそうだけど,
「殺す」は本能的な行為なのか分からない.大昔から食物を得るために
殺して食べてきたからそうかもしれないし,獲っていただけかもしれない)
それでも「殴る」とか「刺す」という概念を知っていれば
それをやって「殺してしまう」ことはあるかもしれない.
それは蟻を潰したけど,(意図せずに)殺してしまうと言うのと同じことか.
でも殴ると痛いとか刺したら血が出るということを知らなかったら
殴ったり刺したりするだろうか?でも自分は蟻を潰していたか…
知っていても知らなくても結果的には殺してしまったのだから,
「私は意図的に殴った(刺した)だけで,殺してはいません.
殺すなんて行為は私の辞書にはありません」みたいなことを言ったり,
「私は意図的に殴った(刺した)けれど,それをしたら
人は死んでしまうなんて知りませんでした」なんて茶番は
今の社会では通じないよな.責任能力の有る無しとは別の話になるのかな?
この日記書き始めたときは「殺す」なんて言葉や概念を知らなければ,
人を意図的に殺すことはできないから,「殺してはいけない」と
教えるために「殺す」とはどういうことかを知らなければ(教えなければ)
ならないなら,最初から「殺す」を教えなければいいと思ったけど
上みたいな茶番劇の予防措置として,やはり教えておくべきなんだろうな.
殺してはいけないなんて幸い今の自分には当たり前すぎて
読み返すしてみてとても変なことを書いている気がしてきた.