在るどころか物凄く強い。東大に入れなかったあの時から正直人生が止まっている。
ほとんどの人はそれを愚かだと思うことも分かっている。
学歴が全てじゃないとか、社会に出てからは学歴なんてたいした意味を持たないとか、そういうことが問題なのではない。
社会に出てからは学歴なんて関係ないという言葉が、嘘だろうが、本当だろうが、それはあまり俺のコンプレックスとは関係がない。東大生本人の「東大はいっても別に何もないっすよ」という言葉も関係ない。
なんとなく幼少時から東大に入るんだと思ってきた。別に親の教育がスパルタだったわけじゃなくて、単によくある地元でちょっと賢い奴だったから。中学で何の勉強もしてないのに一位ばかり取っていて、県の模試でも一位になった、教師からは賢い賢いと褒められた、たったその程度の事で図に乗ったってだけ。
ただ図に乗ったといっても、自身が天才じゃないこともよくわかってた。でも東大はいれるほどの秀才ではあるんじゃないか、と思ってた。傲慢さすらセコい。
要するに俺には何も無かった。中学時代。特に顔がいいわけでも人気があるわけでも面白いわけでも運動神経がいいわけでもなかった。あの時俺のアイデンティティになってたのが「賢さ」だった。皆からも賢い奴だ、あいつは凄いやつだ、って言われてそれこそが自分なのだと、当時は自覚してなかったけど今になって思うとそこに縋っていた。そこをアイデンティティにしていた。それがなければ自分には何もないことをうっすら分かっていたからこそそこにしがみ付いた。東大なら誰でも知ってるところだからそこへ入ればより自身のアイデンティティが固定化されるだろうと思った(勿論当時はここまで明確に考えていたわけではないが)。
東大へ入っても、そこには同じ入試問題を勝ち抜いてきた、頭のイイ奴ばかりがいるんだから挫折してしまうよという考えもよく聞くけど、俺の場合東大に入りさえすれば(つまりアイデンティティを確保さえすれば)別にそこで俺以上に頭のいい奴がいてもそれはたいして気になることではなかった。そもそも、小さい頃に、自身が天才ではないことに気付いてしまったためにそういう事はもうどうでもいいのだった。別に東大はいったからと言って賢さが保証されるわけでもないことも分かっていた。本当に頭のいい奴だったらそんな所にはいらなくったって、他のところで活躍してその賢さを見せ付けることもできるんじゃないかと言う人もあった(俺への言葉じゃないが)。でもそうじゃない。「本当に頭のいい奴」(曖昧な物言いだが許して欲しい)ではないことを悟っていたから、より東大に入りたかったんだ。賢いことをアイデンティティにしていたけど、同時にその賢さは実は脆いこと、天才なんかではないしそれどころか実はそうたいした奴でもない事に多分うっすら気がついていた。だからこそ求めた。そのアイデンティティはどうしても守らないといけなかった。そのアイデンティティがあるから特に反抗期もなく何もなく平穏に生きてきた。それが壊れると園通り自身の存在意義が揺らいでしまう。そんなに大事なアイデンティティの割に東大に入ったくらいで満たされる(と思う)のが、スケールが小さいが。
で結局落ちた。つーか高校入ってから、堕落したんだが。勉強するのが怖くなっていた。多分「頑張って出来なかったらどうすればいいんだ?」という恐怖が、勉強を遠ざけた。もし頑張ってダメだったらどうすればいいのかという恐怖で勉強から、努力から逃げた。小さい時から特に何の努力もせずにいたから挫折の経験もなかった。弱かった。徹底的に弱かった。挫折を想像するだけで逃げるのだからとんでもない弱さだった。
それで授業に出るのも怖くテストを受けるのも怖くて学校自体いけなくなった。それでもしなきゃいけないと思いなおし、教科書を読もうとしても恐怖心と焦りで何度読んでも文字が滑る。何が何なのか分からなくなる。今まではそんなことはなかったけど、これから「何をやっても理解できない」なんて状況が、もし自分の身に起きたらどうすればいいんだと、それに打ち震えた。
テストを受けて、問題を見るも、何が書かれているのかさっぱり理解できないという恐怖の夢を見ては起きた。夜に眠れなくなった。
不登校気味になって、心配してくれた親が精神科へ連れて行った。一応鬱と判定されたが俺自身は正直疑っている。多分単に弱かっただけ。それでも鬱という診断をもらってほっとしている自分もいた。鬱という医者の言葉を親が信じ、病院に通わせてくれるのをいいことにその状況に甘えた。鬱じゃないのだと思いつつ鬱だということにして「何もしなくていいのだ、病気だから」という免罪符で甘え続けた。
それでも出席状況がヤバくなり、何とかギリギリで出た(大体「出席状況やばいぞ」と言われて「じゃあでます」とすんなり出るあたりからして鬱じゃないと思うのだ)。それからも遅刻や欠席を繰り返しつつなんとか授業に出た。
結局勉強が怖くてずっと目を背けた。ボロボロの成績だった。成績が悪い自分ということで周囲に引け目を感じ、友達も作らなくなった。寄ってきてくれる人はいたが、なんだか「こんな成績の悪い俺と友達なんて、悪いよ」というような引け目をどうしても感じてしまい、自ら遠ざかってしまっていた。
そうして受験の年となり、恐々努力をし始めた。笑ってしまうような話だが、勉強中に何度も泣いていた。泣きながら勉強していた。精神がわけのわからない圧迫感と焦りと、もう終わりなのだという絶望感でごちゃごちゃになっていた。それでもやらなきゃいけないという板ばさみにあって泣きながら勉強という訳の分からない構図が生まれた。更にそんな自分に対してまたもコンプレックスを感じた。楽しく勉強をしているような自分があくまで理想像だった。受験に落ちたら終わりだと思った。自分が勝手に作り出したプレッシャーでぐちゃぐちゃだった。だからもう、いっそのこと、東大に入れなかったら死のう、と思って、それを思う事でいくらか精神が安定した。そうすれば失敗しても死ぬだけだから、成功した道しかないから大丈夫だと本気で思ってた。でも薄々「とはいっても俺が本当に自殺できるのか」という疑いもあって、それだけじゃ精神が安定しなくなった。それで親に「東大入れなかったら死ぬ」などと漏らしてまたも心配させた。誰かに言えば後戻りできなくなるから安心だと思っていた。「何言ってるの」という親に「お願いだから入れなかったら死なせてくれ、その死が保証されないと怖くて何もできない」というような事を語っていた。またも精神科へ通った。
で、受けて、落ちた。
じわじわと悲しみが満ちて一晩泣いた後、どこか諦念みたいなものが漂っていた。
「やっぱり薄々感じてたけど俺ってクズだったんだな」
という感情がじわーっと下から染みてきた。
何もなくなっていた。通行人Aのような気持ち。
何も目指すものもない。やりたいこともない。好きなものもない。買いたいものもない。そういえば気付けば全くモテていなかったけど、そんなことにも今気がついた。非モテだと自嘲する元気もない。別にモテようがモテなかろうがどうでもよかった。
何もなくなった。
ただコンプレックスだけ今も残っている。
東大に関連したものを見ると反射的に胸が痛む。羨ましいとか、畜生とかじゃなく、ただ単に痛む。
今も振り切れないまま、何の目標もないまま、「死ぬのが怖いから」生きている。