そういう風に思うのはすごく判るけど、まああれはやってみれば実際それなりに楽しいのも事実。
ホール一帯にケバケバしく、バカみたいに鳴り響く音楽と効果音。
当たる/当たらないは確率でコントロールされ、実際は子供だまし程度の技術介入やゲーム性。
そんな空間で自分ができることは、ただ何時間もレバーを握って「当たらないかなー」と祈ることだけ。
時々当たりそうになったりする茶番(リーチや映像演出)に心を躍らせたりして、
いい加減に待ちくたびれた頃、負けがこんできて「そろそろヤバい」と思い始めた頃にお待ちかねの大当たりが飛び込んでくる。
そうすると単純なテンポでひたすらご褒美を待ち続けた脳内に快楽物質がフィーバーする。
さらにそこから連荘でもしようものなら一気に懐も脳みそもフィーバーが止まらなくなる。
これを一度覚えてしまえば、例え大負けしようと「あの日の体験よ、もう一度」という人間の欲は、もう潰えない。
結局そこに何があるかと言うと、「オトナの現実逃避」なんだろうなと。
非現実的でトランシーな空間で、ひたすら単純作業に没頭しながら射幸心だけが踊る時間。
『自分が勝ち負けに殆ど介入できない』という事は、『負けても自分が下手だからと言う事でもない』という事。
テレビゲームのように自力で技術を駆使して攻略しなくても勝てる日は勝てる。負ける日は負ける。
所謂プレミア演出を見られるかどうかだって機械次第。自分が頑張る必要なんてのはゼロとは言わなくとも、無いに等しい。
そういう全てを人任せにした空間と時間で、日常の諸問題を全て放り出してお気に入りの台にすがる。
その間はひたすら頭を真っ白にできる。嫌な事、日常の問題、生活の問題、全て忘れて目の前の台だけに集中できる。
基本高くつくけど、時々お金が逆に返ってくる(だからやめられない)不思議な現実逃避の空間。なんだろうと。
だからお子様の間はパチなんかに興味持たなくていいんだよ。
そこまで悩むこともまだないだろうし、何より自分の技術で結果が決まるゲームをやればいい。
でもまあ、世の中のオトナがパチンコに逃げる時間があっても仕方ないかなーと、私は思わないではない。
オカルトじみたものを本気で信じたり、のめりこみ過ぎて身を滅ぼすやつはバカだと思うけどね。