このエントリーになんか言いようのない違和感というか気持ち悪さを感じるのでちょっと整理してみる。はてな記法とか初めてなんでドキドキ><
ここでの「勇気」は「ある目的を達成するための行動」に伴うリスクを甘んじて受け入れ、その行動を実行する傾向の強さ、言い換えれば「その目的の達成のためならある程度の自分へのリスクも厭わない、とする気概」という意味とします。問題ないだろうし。
それで、この文章は2つの部分(最初の3段落/「だせぇ」以下)に分かれてるんだけど、まずは前半から考えてみる
彼はそこで「待遇に関して不平不満を言う人を見かけると、『不平不満を言っている暇があったら何か状況を改善するための行動を起こせばいいのに』と思う」と書いている。
そこからつなげて「不平不満を言う人は、その状況を改善する行動をする[勇気]が無く、不平不満を言うという擬似行動で自分を満足させているのだ」と言いたいのだと伺えるが、不平不満を言う事と、行動を起こしていないと言う事は等しくない。
不平不満を言わずに行動を起こす人がいれば、不平不満を言いながら行動を起こしている人もいる。
もちろん行動を起こしていない人にもその両者がいるし、もっと言えばその「不平不満を言う」事こそが行動になる場合もある。
つまり、不平不満を言う事と行動を起こしているかどうかは無関係。
むしろ、改善行動というのは往々にして貯まった不平不満の噴出行動として現れるから、それを文句として口に出すのは、自分の意見の確認作業として、改善行動へ至る舵取りを促進すると思う。
他に「不平不満を言う事は改善行動を取るための時間を食いつぶす」と言いたいのだとも取れるけど、これはさすがに馬鹿げてるよね。
結局、前半部分は支離滅裂。木端微塵にぐっちゃぐちゃ。
後半行ってみよう。
ここで彼は「ある目的(恋人ゲット)に対しての課題(出会いが無い)を解消するための行動を取らないのは,お前の垂れるもっともらしい言い訳が理由なんじゃなくて、単にお前に(女の子に話しかける)勇気がないからだろ。」、「自分が行動しないのを屁理屈で正当化するのはダサい」、そして「そんなことしてる暇があったらさっさと勇気出せ」と書いている。
これは典型的な防衛機制で言うところの合理化だよね。狐とブドウのアレ。
至極当たり前の事だけど、でも忘れちゃいけないのは、勇気がないからこそ合理化をするのだということ。
つまり、勇気こそが根源的な課題(の1つ)であって、「勇気出して一歩踏み出してみなよ」なんて無責任な言葉で締めくくられるモノじゃない。はじめから勇気出せるなら出すっつーの。
だから「勇気の出し方」にこそ力を入れて考えて行くべきなのに、このエントリは投げっぱなしで何の答えも出しちゃいない。
それどころか、これは主観だけど、「勇気出して一歩踏み出してみなよ」という言葉には「勇気を出すなんて簡単な事さ★」みたいなニュアンスを感じる。
これって彼女を作れない非モテに「お前も早く所帯をもって安定しろ」って言うような(しかも確信犯的に)、言いようのない嫌ったらしさを感じるんだよねぇ…
まあ、合理化真っ最中の御仁に「アンタ合理化大バザール中ですね」って突きつけるのには良かったのかもしれないけど、根本的な解決には至ってないから結局徐々に振りだしに戻るだけ。
失業者やネットカフェ難民に「選ばなければ仕事は山ほどあるだろ」って言うのにも似てるな。