録音しといて、さらに上役に確認させればよかったのに
違う論理で動いてるんでしょ。感情とかそこらへんの。
どうでもいいけど屁理屈って言葉は嫌だよね。屁理屈を定義しないで使うから毎度使われ方が違ったりするし、定義を教えてくれって言ったら屁理屈を言うなってまた言われるし。だから屁理屈の定義はこれ以上論理で議論するつもりはないよっていう宣言なんだと思うことにした。返せる論理があればそれを言うんだろうし。
確かに正直、読み手への信頼はない。俺自身の文章能力にも信頼はない。
それは何度も誤読された事があるからだ。
誤読されることほどガックリくることはない。理解してくれたうえの反論と言うのは心地よくすらあるが、誤読された上に偉そうに反論している奴を見ると何とも言えない空しさや怒りがこみ上げてくる。「誤読してるくせに偉そうな事いってんじゃねえよ」という怒りや、「得意げになっているこいつにいちいちまた俺が説明してやらないといけないのか」というガックリ感。そして「また俺は伝わるように上手く書けなかったのか」という自分への失望。それらが混沌となってなんともいえない徒労感がある。
それを味わうのが俺は嫌だから、徹底してわかるように書く(ていうか書いてるつもりにすぎないのだが)。
でもそうすると今度はそれが鼻につくと嫌がられるみたいだが……
本当うまくいかないものだな。考えを理解してもらうというのは本当に難しいな。
些細な事でも、非論理的だと思うとつい口を出してしまう。
「そこはこうこうだから、そう言うのはおかしくないか。あくまで○○としか言えないはず」
とか。
そうすると大抵嫌な顔をされ
「いやでもさぁー。実際、そうなったらこうするでしょ?」
とか言われても
「それとこれとは別問題だよ」
とか言っちゃう。
んで「屁理屈人間」とか「いちいち理屈っぽい」「なんでそういうこといちいち言うの?」って言われる。
子供の頃から何度も親を含めた大人たちに屁理屈だ屁理屈だといわれてきた。
そのたびにまた、「屁理屈って言うけどどこがどう屁理屈なの?どこか間違ってる?」って言ってしまってまた
「この子は本当に言い訳がましい」「理屈っぽすぎる」「いちいちうるさい」って言われてきた
だからそのうち親や先生には何も言わなくなった。怒られたらただ黙るようになった。だって言っても「言い訳だ」「屁理屈だ」って言われるだけだから。新聞とか読んでて、「これって変じゃない?この文章からこの結論にならなくない?」って親に聞いてみても「またそんなどうでもいいこと言ってあんたは」って言われるだけだったからそれも言わなくなった。(まあ今思うと、子供にんなこといちいち問われたって、親だって忙しいんだから付き合っていられんわなあ)
友達にもそういうのは嫌われた。「何言ってるのかわからない」「そんなんどうでもいいじゃん」「気持ち悪い」「怖い」……。
言わないほうがいいと思いつつも、論理的におかしくないか、と思うと口を出さずにいられない
それでも言えば「怒られる」
どうすればいいのか…
ネトウヨの言論なんて上っ面だけなもんだからさ。
基本的に上手くいかない日常に対するはけ口を求めてると言う事
引いてみるとまるで子供の意地の張り合いに見える。
長いのがどうこうっつーより、突っ込まれたくないという自意識が透けて見えるのがうざい。突っ込まれるの嫌だから常にセルフ突っ込み前のめりぎみ。文章は投げたら後は読み手に任せるものだが、その手の信頼がなく、あれも嫌、これも嫌と許せる範囲が狭くて強烈に自分を守りたい人間性が見えてイライラする。
自分の観察では、そういう書き方の方が余計突っ込まれる。読者は意外と分かってる。1回で分からない奴は百回書いても分からんから放っとけ。そういう奴を意識して長々と書いたとしても、言いたいことは言ってやった!という自分の溜飲を下げる役にしか立たない。
何度も何度も言い方を変えて同じ事を書く癖がある。
それは「分かってもらえなかった」時の恐怖(というといささか大袈裟ではあるが)ゆえだ。
分かってもらいたくて何度も同じ事を書く。
それゆえに俺の文章は「なげーよ」「うぜえ」「三行で書け」といわれがちだ。
エッセンスだけ書こうと思えば書けるが、どうしても「これだけでは分かりづらくなかろうか。もうちょっと例えを使って分かりやすく書いたほうがよくないか、ていうかそうしないと実感としてピンとこないかもしれない」等とうだうだ考えてしまう。すると長くなる。
しかし、思い出すに、学生時代受けた国語の授業で、「筆者は何故何度も同じ事を言い方を変え主張しているのでしょう。」という問題があり、こたえは「読者にわかってもらうため」だった。それを思うと、寧ろ長くてもいいのかな、とも思えてしまう。いや、まとめられるに越したことはないのだろうが、しかし、教科書に載るような文章でさえそんなに念押しして長文化しているというのにこの俺がすっきり短く内容をまとめられるものだろうか?…とも思うわけだ。
ごめん結論ない。
アンチエイジングというのがいかにも外来語ってかんじの言葉だから、若さにこだわるのは日本に限ったことでもないと思うが。若い方がもてるのは古今東西共通の気がする。昔は今ほど中高年が多くなかったから目立たなかったのかも知れんけど。
何か問題があるとすぐ日本固有の問題であるかのように言う人ってこれに限らずよくいるけど、外国にも自分の国固有の問題と思いたがる人っているんだろうな。
晩御飯が、天然ブリの塩焼きでした。
「ちょっと塩っからかったねー」
でも、おいしかったよ、ブリ。
「塩っけとりすぎたー」
そうだねー、のどが渇いたよ。
「口の周りがくわんくわんするー。」
くっ・・・なんだ、その可愛げな表現は!
ポイント +1
ありがとう。見切りの早さに自分でも呆れたけど、そういってくれる人が多いから救われるよ。
昔とった杵柄で、結局今の仕事でも文章を書かされることが多いんだけどね。