これはちと露骨過ぎるが、日本語の乱れは感じる。
世界中に見ればあまり使いずらい言語で無いのになんでなんだな。
何年か後にはもうすでに日本語の幻影がなくなってた気がする。
謙遜した時に「凄い」と言われることを期待して、
「大したことないね」と言われた時に、「お前は分かっていない、俺の本当の大したことのなさを」と方向性の間違った謙遜を出来るになることが出来るのが、最近の目標。
ごめん、最初の日記の「孫」っていうの見落としてた。
ずれたコメントしてすまん。
けど、孫に限定するんだったら、在日の話とはずいぶん違うと思うぞ。
残留孤児3世(孫)には日本に受け入れることのできる家族がいるだろ?
1世は中国語が話せるし、間違いなく受け入れてくれるからね。
経済的な視点を取り入れるのは良いと思うんだけど、比較対象が間違ってるんじゃない?
ちゃんとしよう、といつか思って、それで一日二日、ちゃんとしたら、なんかどうでもよくなってしまう自分がいる。三日坊主とは、信心の心の問題のように思う。
昼くらいに起きた。洗濯はした。昨日はじめたネトゲを続けて、しばらく熱中する。クリーニングにもいった。あそこの店員とはソリが合わないけど、クリーニング屋の店員とソリがあってもどうしようもない。
インスタントラーメンを買ったので、豚肉をきったものを入れて塩ラーメンを作る。野菜が入ってないと美味しくない。それでまたネトゲ。レベル上げは退屈だ。好みのネットラジオを聞きながら進める。耳で聴く作業と、クリックする作業は、同時進行が可能なようであるが、どうしようもなく下らない。下らなすぎて、七時過ぎくらいから、独りぼっちが悲しくなる。おせぇよ。独りはつらい。独りは寂しい。なぜ独りがいやかというと、独りは幸せじゃないからだ。エアマスターの小西がいうように、もう長生きなんていらない、だから、幸せじゃなくていいんだ。そう決めてしまえば、きっと生き易くなる。けれど、完全にそういうわけにもいかない。ぼくは社会人で、会社に行っていて、そこでは人と関わらずに、生きることはできない。「みんな」の中にいれない。独りにもなれない。なら、どうすればいいのか。ぼくは、きっと機械のようになればいいんだと思った。自分を持たずに生きよう。一切の気分を捨てよう。そのために、頑張って、ぼくは、習慣を味方につけようと思う。自分の中の血を入れ替えるのだ。暮らしから、人間的なものを排除するのだ。キリスト教に、七つの大罪というものがあって、それらは人間であるがゆえの、罪なのだ。それを排除しよう。美味しいものを喰おうとするな。女性と仲良くなろうとするな。仕事で偉くなろうとするな。正しい習慣を、機械的に生きるんだ。もう人間なんて終わりだ。機械だ。これからは機械だ。
誕生日が解禁日付近なので、
友人知人にプレゼントとして、
よくボジョレーヌーボーをいただきます。
しかし私、実は赤ワインが飲めないのです。
店で飲んだときも、あとで体外に戻してます。
早く言いださねばと思いつつ、
成人してから数年が経過してしまいました。
年のせいか、み、味覚が変わったのかな??とか、
言えばカドがたたないでしょうか。
あとは白いのを事前にリクエストしてみる等で
回避するべきでしょうか。
憶病であり傲慢、そのように当時を過ごしていました。
人からの反発を恐れていました。それにより傷つきたくなかったのです。
また、相手の不機嫌を招くことも最大限に忌避すべきことでした。
ですから自分の意志を表現することがとにかく恐ろしく、口を噤んだままにどうにか分かって欲しいと祈るばかり。
そして時々、周りの心優しい人々があまりにも鈍感であることに苛立って歯を食いしばったものです。
私は自分の頼み事、それも、その対象となる人がしていることを止めて欲しいという類の頼みが非常に苦手でした。
例えば、静かにして欲しいだとか、そういったものです。
こうして過去形で語っている今でも、まあ全く苦手ではないという訳ではないのですが、世の人々もその様に思っているのだろうと偏見をもって対処しております。
当時は周りの心優しい人々が不意に見せる無神経さが醜く感じられ、私はそのような行動を憎みさえして、反面教師としてしまいました。
その結果が憶病さと傲慢さです。
どうして周りはわかってくれないんだろう。自分がどんなに騒々しいか、また無神経であるか、どうして自覚しないのだろう。そう、思い続けていたのです。
それで周りの人々を注意できなかったのがいけなかったのでしょう。
自分が可愛いといった意識が強かったのか、またはやはり相手の機嫌を損ねてしまう怖れの方が強かったのか、それは分かりません。
ひょっとしたらいじめにあったことが、こうした怖れを増す原因だったのかも知れない。そう言うこともできます。
しかしそれはやはり逃げであると思うので、これは自分の弱さ故なのでしょう。
今思えば、じっと黙ったままでいるのにある時突然にぎりぎりと歯を食いしばっている様は滑稽なものです。それで怒鳴りだしたりしなかった分、まだましといえるのでしょうか。
少しの負荷を受けただけで膝を折り奥歯を鳴らすような醜態を晒しているよりは、怒鳴った方がましとも考えられます。
私にとって叫ぶことはエネルギーを要することでした。
一時期は文字通り消えて無くなりたいとさえ思うほどに、私に住み着いていた苛立ちはひどいものでした。苛立ちでなくば絶望、まあそういったものです。
結局、私は一度酷い爆発を起こしてしぼみました。死にたいと騒ぎ立てるようなものではなく、ただ風呂場で泣きながらふやけていただけですが、その手先のふやけた皮がやがてしなやかに戻るように、私もぐいぐいとしぼんだのです。
迷惑を掛けないように息を潜めようというような意志は薄れ、周りを伺いながら少しずつ無神経さの発露と自己主張を始めています。
独り相撲の終焉はあっけないものでした。今は割と普通に生きている、そう思いたいものです。
脆い自分とは別れたはずです。
ですがあの頃が一番、真剣に他人のことを考えていたのかも知れない。
概ね間違いですが、当時のことを思うと時たま唸りたくなるのです。
ああ、手先が冷えてきました。
知ってるよ
大元増田は改変と言うのもアホらしい
女友達が後輩になっただけ、ファミレスとかって固有名詞が消えただけ
性別入れ替えるとか実は同性ですとか、多少の話の違いを出さないとただの劣化コピー
だいたい当てはまる目印としては、メガネをかけているとかかな。