ちゃんとしよう、といつか思って、それで一日二日、ちゃんとしたら、なんかどうでもよくなってしまう自分がいる。三日坊主とは、信心の心の問題のように思う。
昼くらいに起きた。洗濯はした。昨日はじめたネトゲを続けて、しばらく熱中する。クリーニングにもいった。あそこの店員とはソリが合わないけど、クリーニング屋の店員とソリがあってもどうしようもない。
インスタントラーメンを買ったので、豚肉をきったものを入れて塩ラーメンを作る。野菜が入ってないと美味しくない。それでまたネトゲ。レベル上げは退屈だ。好みのネットラジオを聞きながら進める。耳で聴く作業と、クリックする作業は、同時進行が可能なようであるが、どうしようもなく下らない。下らなすぎて、七時過ぎくらいから、独りぼっちが悲しくなる。おせぇよ。独りはつらい。独りは寂しい。なぜ独りがいやかというと、独りは幸せじゃないからだ。エアマスターの小西がいうように、もう長生きなんていらない、だから、幸せじゃなくていいんだ。そう決めてしまえば、きっと生き易くなる。けれど、完全にそういうわけにもいかない。ぼくは社会人で、会社に行っていて、そこでは人と関わらずに、生きることはできない。「みんな」の中にいれない。独りにもなれない。なら、どうすればいいのか。ぼくは、きっと機械のようになればいいんだと思った。自分を持たずに生きよう。一切の気分を捨てよう。そのために、頑張って、ぼくは、習慣を味方につけようと思う。自分の中の血を入れ替えるのだ。暮らしから、人間的なものを排除するのだ。キリスト教に、七つの大罪というものがあって、それらは人間であるがゆえの、罪なのだ。それを排除しよう。美味しいものを喰おうとするな。女性と仲良くなろうとするな。仕事で偉くなろうとするな。正しい習慣を、機械的に生きるんだ。もう人間なんて終わりだ。機械だ。これからは機械だ。