憶病であり傲慢、そのように当時を過ごしていました。
人からの反発を恐れていました。それにより傷つきたくなかったのです。
また、相手の不機嫌を招くことも最大限に忌避すべきことでした。
ですから自分の意志を表現することがとにかく恐ろしく、口を噤んだままにどうにか分かって欲しいと祈るばかり。
そして時々、周りの心優しい人々があまりにも鈍感であることに苛立って歯を食いしばったものです。
私は自分の頼み事、それも、その対象となる人がしていることを止めて欲しいという類の頼みが非常に苦手でした。
例えば、静かにして欲しいだとか、そういったものです。
こうして過去形で語っている今でも、まあ全く苦手ではないという訳ではないのですが、世の人々もその様に思っているのだろうと偏見をもって対処しております。
当時は周りの心優しい人々が不意に見せる無神経さが醜く感じられ、私はそのような行動を憎みさえして、反面教師としてしまいました。
その結果が憶病さと傲慢さです。
どうして周りはわかってくれないんだろう。自分がどんなに騒々しいか、また無神経であるか、どうして自覚しないのだろう。そう、思い続けていたのです。
それで周りの人々を注意できなかったのがいけなかったのでしょう。
自分が可愛いといった意識が強かったのか、またはやはり相手の機嫌を損ねてしまう怖れの方が強かったのか、それは分かりません。
ひょっとしたらいじめにあったことが、こうした怖れを増す原因だったのかも知れない。そう言うこともできます。
しかしそれはやはり逃げであると思うので、これは自分の弱さ故なのでしょう。
今思えば、じっと黙ったままでいるのにある時突然にぎりぎりと歯を食いしばっている様は滑稽なものです。それで怒鳴りだしたりしなかった分、まだましといえるのでしょうか。
少しの負荷を受けただけで膝を折り奥歯を鳴らすような醜態を晒しているよりは、怒鳴った方がましとも考えられます。
私にとって叫ぶことはエネルギーを要することでした。
一時期は文字通り消えて無くなりたいとさえ思うほどに、私に住み着いていた苛立ちはひどいものでした。苛立ちでなくば絶望、まあそういったものです。
結局、私は一度酷い爆発を起こしてしぼみました。死にたいと騒ぎ立てるようなものではなく、ただ風呂場で泣きながらふやけていただけですが、その手先のふやけた皮がやがてしなやかに戻るように、私もぐいぐいとしぼんだのです。
迷惑を掛けないように息を潜めようというような意志は薄れ、周りを伺いながら少しずつ無神経さの発露と自己主張を始めています。
独り相撲の終焉はあっけないものでした。今は割と普通に生きている、そう思いたいものです。
脆い自分とは別れたはずです。
ですがあの頃が一番、真剣に他人のことを考えていたのかも知れない。
概ね間違いですが、当時のことを思うと時たま唸りたくなるのです。
ああ、手先が冷えてきました。