訴訟社会ニューヨーク地下鉄の車掌は「事故が起これば俺が責任を問われるが、いくら遅れようとも俺の給料にゃ関係ないから駆け込みがあるたびにちんたら遅れまくるからな。遅れて被害遭うのは客のおめーらだけだからww」 みたいな放送をするわけで。日本はこういう社会になってはいけませんね。
こういう社会の方が居心地がよさそうなのですが。
アメリカが訴訟社会なのは、価値観が無数にあるから、各価値観を定量化する方法として民法を用いているような気がする。
貨幣を用いることで、価値観や感情を共有できない人とも、損得勘定という共通言語でコミュニケーションが取れるって誰かが言ってましたね。
法律と貨幣で縛られた社会は、それはそれでドライに感じるのかも知れないが、典型的な都市生活者(非コミュ)である自分としては、その方がよっぽど楽であるように思えてしまう。
法律と貨幣という、コミュニケーションのプロトコルで各員にアクセスできるのであれば、無駄なpingを飛ばさなくてすむし。
後はみんながそれを理解して、感情論でそれをつぶしにくる人が居なければなぁ…。
っていうか、社会の変革を望むよりはアメリカに行く方が楽な気がしてきた。
銃怖いけど。