悪夢の様なガキを量産して、社会をちょっとずつ痛めつけていくことの方が
余程人類への反抗になるのではないかな?
反抗が「実効的な結果」を目指すための手段であるとしたら、
どっちがより実効的かということはミクロレベルじゃ多分決定できないんだよね。
産まないことで子孫の可能的生産をひとり以上減らすことは、後世に行くにつれてネズミ算的に「もしその時に産んでいれば存在したであろう仮想的人口」を殖やすことになる。
でも、もし産んだとして、その子が大きくなった時に、他人に対して子供を持ったり家族を持ったりすることを諦めさせるような政策決定をする(あるいは大量殺人でそれを物理的に不可能にする)人間になったとしたら、そちらのほうが人類に対するマイナス影響はより大きくなる。
さらに。
上記では「産めよ殖やせよ」が人類への貢献で、その逆の「産むな殖やすな」が人類への反抗だと単純に考えたけど、もしかしたら子供を社会にひとり余計に送り出すことが、それ自体としてかえってマイナスになる場合だってあるかもしれない。
悪夢の様なガキを量産して、社会をちょっとずつ痛めつけていくことの方が 余程人類への反抗になるのではないかな?子供が生まれないで困るのは国家というか、 ひいては(現行制度上...
人類への反抗だ。子供など作ってやるものか。 (http://anond.hatelabo.jp/20070321115611) 悪夢の様なガキを量産して、社会をちょっとずつ痛めつけていくことの方が 余程人類への反抗にな...