はてなブックマークの事をけちょんけちょんに言っていた人がはてなブックマークでけちょんけちょんなコメントを書いて、何人かにあがめられているわけだけれど、匿名ダイアリー使って何か書くと「ぶーぶー言ってる奴」とか書くのかな。それとももう匿名ダイアリーを使っているのかな。使っていそうだよね。
id:suVeneの人が、オレの文章は書き癖でわかるんだよね、と宣っていたのを思い出したので書いてみる。
果たしてこの文章を書いているのはid:ululunや否や。
個人的には匿名という場に埋没するのは悪くないと思っている。
「煩悩是道場」のululunとして書くと「またululunが」みたいな事になるわけだけど、此処だったら増田なわけだし。
文、というものがウエブロガー(人)から乖離した状態で何かを書く事によって生まれるものとはいかなるものか。
↑こゆ事書くから「ululunっぽい」ってゆわれるんだよな。多分ね。
あー、でも雑文だったらこっちに書いても良いかもだよなー。
別にululuとして書かなければならないというものだけエントリにあげれば良いのかもしれないしね。
「はとダ」も「はてダ」とまぎらわしいし、語呂が悪い。
このように韓国ではポータルサイトや有志の集まりが主体となって、少しずつではあるがアクプラー問題の解決に向け動き出している。かといって、すぐに解決できる問題でもないだろう。それだけに根気強い活動が必要となりそうだ。
俺には見える。
第一段階 → ユーザー投票で「アクプラー度」を判定、一定数の票を獲得したユーザーのコメントを非表示に
第二段階 → ユーザー投票を悪用する「アクプラーいじめ」発生。いじめられて仲間はずれにされた子供が大変なことに。
第三段階 → あるユーザーの過去の投票履歴を調べ、その「アクプラー判定精度」が、他人の投票結果とどの程度一致しているかを判定する「アクプラー識別能力指数」を導入。「アクプラーいじめ集団」をあぶりだすことが可能に。
第四段階 → 女性芸能人や政治家などの「シンパ」と「アンチ」がアクプラー度の妥当性について衝突。その結果として、複数の「アクプラー軸」をもてるようにシステムを改良。シンパはシンパのアクプラー軸、アンチはアンチのアクプラー軸によって双方の発言を評価する投票を行い、ユーザーを色分けしはじめる。
第五段階 → ある政治家の「アンチ」が集結。アンチアクプラー軸を採用しているユーザーが集まり新党結成。新党代表は投票数が一番多い引きこもり
いますね、そーゆー人。ダメな現場ではよく見ます。
ゲームっていうのは、あるルールを設定して、その制限のなかで遊ばせるというのが肝なので、ゲームを作るってのは「不自由を作る」こと。これを分かった上で「自由度を上げる」のはチャレンジだけど、なんも考えずに「自由」にするのは、ルールを作ることを放棄してるだけ。
優秀なゲームの作り手は、不自由なルールを作った上で、プレイヤーの工夫とか想像の余地を許す。ただこれはとても難しいことで、ともすればキジューみたいなゲームやUCGOみたいなゲームになっちゃったりする。
どうでもいいけど、あるゲーム会社のトップが雑談の時に「正直、僕にはどんなソフトが売れるのか皆目見当がつかない。ほとんどバクチだ」といってて、経営者としてはとてもまっとうな感性だな、と思った。その会社、下の人たちはすごく士気が下がってるのが残念でならない。バクチをバクチであると分かって、ゲーム作りにチャレンジさせてくれるところはまだ幸せなんだよ? 株価をいかにあげるかだけに注力してるトップの下で、平面的な流行だけ追わされる「ゲームみたいなもの」を作らされる地獄だってあるんだから。
壷山に住む匿名猿は決して姿を見せないと言われる。
奴らは狡猾に身を隠しながら、時にコメント欄を燃やし、時にブログを潰す。
何の力も持たぬブロガーたちは、闇夜に瞬く無数の眼光に怯えるしかなかった。
だが見よ。あの檻を。
猿どもがひしめくあの檻を。
もはや闇の向こうに猿はいない。
これからは猿どもが、我々の眼光に怯える番なのである。
もちろん入場は無料だ。