「石井克人」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 石井克人とは

2007-08-08

ついさっき第一話だけ見た人間らき☆すたの魅力について書いてみる

なぜ「らき☆すた」否定派は肯定を許さないのか

このエントリーを起点にしたやりとりが面白くて「らき☆すた」というテレビアニメ作品に興味を持った。正にしろ負にしろ見た者に大きな影響を与える作品みたいだ。早速ニコニコ動画で視聴してみた。

私は映画漫画は人並み以上に愛好し、アニメも以前はよく見ていたが(90年代後半の頃のこと)、今は時間的束縛が大きいテレビアニメというジャンルはあまり見ない。話題になったアニメ映画をぽつぽつと見るくらいで、嵌まったと言えるテレビアニメ作品は「ビーストウォーズ」くらいだ。なので、私にはオタク教養が欠けている。さらに私は二次元フェティシズムを感じない。エヴァンゲリオンを友人が熱心に勧めるので、一応最後まで視聴したが、ロボットアクションと最終二話の実験的手法を面白いと感じたくらいで、キャラクターに熱を入れる人たちの心理はあまり理解できなかった。したがって、これから記述する文章は真の愛好者にとっては的外れなものかもしれないし、既に語り尽くされた内容かもしれない。

まず「らき☆すた」が特殊なアニメなのは間違いないだろう。あるあるネタパロディの羅列に「内容が薄い」「創造性が無い」と厳しい指摘をすることはできる。だが、らき☆すたの面白いところはまさにそこで、キャラクターたちが取り留めの無い会話を繰り広げるところだ。作品内で登場人物たちが、言ってしまえばどうでもいい話題で無駄話をするというのは今までにもあった。クエンティン・タランティーノのレザボアドッグス冒頭がその代表に当たるし、日本だと石井克人宮藤官九郎が似たようなことをしている。だが、それは作品内の一シーンに使われるのみで、らき☆すたのようにそれだけで構成されているというのは珍しいだろう(石井克人の「ハル&ボンス」がそれに近いが、この作品は話の主が犬と餅という極めて非現実的な設定だし、二者の掛け合いはコントに近い。らき☆すたの会話にコント的要素は少ない)。しかも、らき☆すたは話題が日常のあるあるネタや、現実にあるアニメネタオタクネタであることで、視聴者とアニメキャラクターたちの間で話題の共有化がされ、あたかもアニメキャラクターたちと自分が同じ場所に存在しているかのような感覚を呼ぶ。これがニコニコ動画での視聴になると面白さは倍増し、アニメキャラクターたちとの雑談に擬似的に参加しているかのような気分になれる。それが、この作品の魅力だと言って間違いないだろう。

らき☆すたアニメとは言えないのかもしれない。このアニメが視聴者に提供するのは心躍るストーリーではない。らき☆すたが提供しているのは「楽しい空間」だ。カラオケボーリングゲームセンターなど外に出れば楽しい空間を提供するサービスはいくらでもあるが、私はテレビでこれをやっているのを見たことない。らき☆すた世界初の「空間」を提供するアニメである。それゆえ、斬新であり、特殊であり、傑作なんだ。話題になるのも無理はない。こんなアニメは誰も見たことがないのだから。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん