それで悟りを開いたところでその悟りって結局坊さん自身のためのものでしかなくて、世間で辛い目に遭ってる人に寄り添ったり救ったりなんてできないんじゃないの
変な坊主にコミュニティ内でレイプされて苦しんでる女に対して黙っとけみたいな対応しかできなかったのも、結局は「悟り」って「執着するな、気にするな」の境地に達することであって、どんな酷い目にあって苦しんでても、それを忘れろ、執着するな、て教えであって、現に毎日七転八倒する苦しみがあってその被害から回復したい人にとってはなんの救いにもならないんじゃないの
Permalink | 記事への反応(2) | 10:17
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その考えこそ執着の象徴
ようは修行なんかしても世の中の役に立たないってこと?
ブッダは6年間、苦行を行ったが、ついに悟ることは無かった。 その後、菩提樹の下の瞑想で悟りを得た。 さて、彼の苦行は無駄だったか?有益だったか?
坊さんも本当は、現世でやりがいがあって社会的意義がある仕事に就きたかったんだろうなって思うと、急に切なくなってくる。 とくに、比叡山のなんたら行みたいな実績アンロックの...