「世界は神が造った」と断言するひとを、無根拠なことを信じる人だとおもう。
そういう僕は「世界は神が造ったのではない」と、当然のようにおもっている。信じている、と言ってしまってもいい。
それだって「世界は神が造った」と同じくらいに無根拠であるはずだ。
とすると、「世界は神が造ったかそうではないかは、知り得ない」が唯一の合理的な態度になるのか。
しかし「知り得ない」ということをいったいどこで知ったんだろう
知り得ないか知り得るかは、知り得ることなんだろうか。
というあたりからテツガク的な思考が一歩も進まなくなりました。
ここから抜け出すにはどんな道がありますか。
Permalink | 記事への反応(3) | 12:25
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「世界をつくったもの」を神と定義すればいいだろ。 世界をつくることこそが、神が神である要件なのだし。
知り得ないか知り得るかは、知り得ることなんだろうか。 うん 知覚だけは君が判断していいことだ 「我思うゆえに我あり」だってそういう意味だ 君は思うばかりで勉強をしてない...
本の登場人物が、著者について知ることはまずあり得ない。著者が介入しない限りね。 無根拠なことをあえて信じていくのが宗教で、根拠があって信じるんだったら、そりゃ宗教じゃね...