2010-12-02

父が亡くなって半年経って、ようやく辛い気持ちを受けとめられるようになったが、

それでも、取りあえず毎日食っていくためにこなす仕事の相手をいなすためにも、

まるで何事もなかったかのように、というのがデフォルト。そりゃ当然だが

社会的デフォルトを維持するために、娘がどんなリスクを負っているのかも知らず、

そして、父が亡くなったことで、まるで自分だって隠居して当然かのようにダラけて、

子供たかってやろうというような、そんな旧体制の異物のような母に絡め取られないためには、

多少理不尽金利でも、受けとめて、私だけの城を築く必要があったってことか。

そうかんがえると、まだ処女の時分に、割と熱心にプロポースされた人のことを思い出す。

思えば歴代、若い頃に付き合っていた男性たちは、総花的にポエム気質というか。

中学生男子の欲望満載の某K談社の漫画のエピソードに使ったらしい。気持ち悪いけど、まぁそういうことも浅薄な人たちの間ではあり得ることなのかな、なんて思ったけどさ。

そうか、彼の庇護下じゃなくて自分で生きて行かなくては、と思ったら、元彼氏よりも分別やバジェット(財布)が2桁ぐらい違う人が、いるもんだなって。

せっかく、そんなふうに、夫からも夫の両親からも、ましてや自分の親からも差別されているような、そんな時系列無視の後輩たちにだって、一部の魂があるんなら、それを聞くのが私の、社会から与えられた指名なのではないかと、思ったり、思わなかったりしています。

ちなみに、ボランティアは基本前労力に対して無償であるからこその「ボランティアです。つまり、この網にかからない人に関しては、宅建+鑑定士+営業スキルの3つが必要なので、一般人はとうてい無理です。ほぼ初対面の男に裏拳噛ませる方がキチガイ

毒素の多い母親だけが残された状態で、よくもまぁ、半年生きてきたかと、

自分を褒めてやりたいよ。

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