自分がなぜここまで別の世界、リアルな別世界、仮想空間を求めているのかが分かった。
自分は太っているし、はっきりいってかっこよくないし、それを起因とした立ち振る舞いすべてにコンプレックスがある。
自分の家以外では鏡を見れない。外世界と繋がっている状態で自分がどう見えているのか確認したくないという強い思いがある。それを見た瞬間、もう前を向いて歩けなくなってしまう。
この強いコンプレックスが、おそらく自分のカタチを簡単に変えられ誰かになれる仮想世界への思いを強固にさせているのだろう。
増田内で容姿に関する文章を読むと、まっさきに「何でそんな下らないこと考えてるんだ」と鼻で笑ってしまうのは、仮想空間で自分のカタチを変えられればいくらでもイケメンになれるじゃないかという確信めいたおもいがあるからだ。
リアルを変えるのはかなり難しい。そうでないという意見もあるが、リアルとはおおむね固定化しており、安定的だからだ。この安定感こそ、人間をこの世界に強力に縛り付けるモノなんだろう。
リアルな仮想空間は、いわゆるいいとこどりだ。安定感を持ちながら、一方では簡単にそれを崩すことも出来る。顔を簡単に変え、別人になれる。一見すると不安定だが、その世界の根底にはこのリアルと同様の「安定感」があるために、インターネットのような無重力空間的な不安定感はないと思う。不安定さを保持したまま安定した空間を提供する。これぞ次世代。
当たり前だが、世の中の人間みんながかっこよくて個性的なわけではない。だから、このサービスがはじまればかなりウケると思う。
もちろん誰かになれるだけがウリではない。物理的な制約、時間的な制約からも解放される。リアルな時間変化に飽きた人々は、一瞬にして昼が夜になり、夜が朝になることに何の違和感も感じなくなるだろう。
それぞれの場所、風景には適切な時間帯というものがある。昼のビーチではしゃぎたい人がいれば、夕焼けのビーチで哀愁を感じたい人もいる。
単なる3次元空間では陳腐に感じられても、五感を投影させた3次元空間ならもはやそれをニセモノだと言う人はいなくなるだろう。