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はてなキーワード: 感傷とは

2011-12-31

2011年翻訳増田まとめ

翻訳増田です。今年書いたものをまとめておきます

手前味噌ながら、良エントリと思うものに★をつけてみました。

エジプトについてバカ丸出しな発言をしないための手引き2011年2月1日

今年のはじめの大ニュースアラブの春。その流れに乗って、思いがけず拡散された記事です。今年はこれに味をしめて翻訳を続けたという感があります

日本の多頭蛇: 災厄は歴史を変えるか★(2011年3月18日

次は東日本大震災エコノミストはこの時点でなかなかバランスのとれたことを言っていました。

オサマ・ビン・ラディンの人生★(2011年5月7日

そしてオサマ・ビン・ラディンが殺される。ちょっと珍しい感傷的なエコノミストの記事でした。

学術出版という封建制★(2011年9月2日

ジャーナル購読料高すぎというアレ。初版では注を省略して公開してしまったことを反省しております

今日のOmegle和訳2011年9月17日

これを含め Omegle ネタは個人的には面白かったのがいくつもあるのですが、なかなかうまく紹介できてないです。

ウィキペディア・イタリア語版 停止のお知らせ2011年10月5日

ウィキペディア言論統制と戦う。いまは英語版が似たようなことになろうとしてるようです。

世界が第二の焚書時代を迎えた6つの理由2011年10月16日

ジャーナル購読料高すぎというアレ・第2弾。こちらはちょっと煽りが濃い。

妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞★(2011年10月31日

妹さんから見たスティーブ・ジョブズ人生。"We all — in the end — die in medias res."(私たちはみな、最後には、途中で死にます)にはハッとさせられました。申し訳ないことに初版では誤訳が多かった(当社比)ので、あとで色々直しました。

30歳になった。2011年11月8日

急にdsbdに流れてきたので。



来年ネタ探しに力を入れ、月1くらいでで何かご紹介できればと思っております

また、今年はあちらこちらに誤訳が目立ったことを反省しております来年は、辞書や用例にあたることと背景調査を心がけたいと思います

今後ともよろしくお願いいたします。

2011-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20111113083242

前の前の「自我のあり方が~」を書いた増田です

明治以降、西洋米国のどういう部分を取り入れたかについては、

貴方の方が詳しそうです


私は、欧米が最も良いと思ってあの文章を書いたつもりではありませんでした。

貴方が仰るように、むしろ欧米こそが全て良いという話は嫌いです

日本的な教育の良さは何か、欧米的な教育の良さは何かを考えないでする議論は不毛だと思います


ただ決定的に違うのは、宗教的な態度が全く違うことは確かだと思います

欧米個人主義一神教的な価値観に支えられて強化されている側面が強いと思います

実際の信仰別にして、生活にまでしみ込んでいる宗教的な価値観が個人の自我の発達を

承認するように出来ていると思います

個人は強くあるべき、ということは文化宗教的な前提として発達してきた部分がある。

それを余り考慮せずに日本で同じことをすると、どうなるか。

自我を強く強く、個人を強く強く、すればするほど日本の土壌では支えるものや人が少ない

ことになるんじゃないかと思います。出る杭は打たれる、のが基本ですから

それでは心がもたない人が増えるのは当然だと思います



そういうのは自分の体験から考えたことですが、

他国と比べることの意味は、それぞれの制度の成り立ち、意味効果を基にして、それが現下の自国の制度にどのように取り入れることでどのような展望が開けるか、という、きわめて具体的な提案の中にしかないと思うんだけど、とりあえず「西洋と違うからダメ」という議論は感傷に過ぎないよね。

には極めて同意です

が、なかなかその行為意味や深い部分まで考えて取捨選択するのは難しい気もします。

実際は取り入れてみてやってみて問題が出てきて初めてその意味がわかる、

ということが多い気がします。

http://anond.hatelabo.jp/20111113042531

日本教育が徹底して「日本的」であることはその通りと思う。

けど、

教育からして日本日本式だよ。西洋とは違う。

園児の頃から「綺麗に整列して先生が決めた通りの振り付けのダンスを皆合わせて踊る」事を教え込む国だもの

これは違う。明治のはじめにはそれが「西洋的」だったんだよ。江戸時代の人たちには、「整列」や「号令」の概念もなかった。西洋式の軍隊を作るためには、体育をそこからはじめて教え込まないとダメだった。だからそういう「西洋的」教育をしたんだ。一説には、右手と左足を同時に出す「西洋的」歩き方をしていなかったという人もいるし(「ナンバ」とかでググるおk)、足並みそろえて歩くという経験もおそらくなかったため、その教育重要だった(たとえば、明治5年「歩兵内務書」には士官兵卒に対して「体術歩法教授及ビ距離ノ測量等ヲナサシメ、長短緩急共ニ一様ノ歩法ヲ取ラシム可シ」とある)。



もちろん、それが西洋の「軍隊的」ではあっても「学校的」であったかというとそうではないので、「西洋軍隊体育」が「学校体育」の基礎になったこと自体は近代日本事情によるものではあるけれども、園児にそういうことを教え込むのは単なる明治の名残り。



もっとも、日本教育日本的で何がいけないのかは若干よく分からない。「西洋教育といっても、ドイツフランスイギリスだけに絞ったって教育制度は各国事情により異なる。それが当たり前じゃないかと思うんだけど。

他国と比べることの意味は、それぞれの制度の成り立ち、意味効果を基にして、それが現下の自国の制度にどのように取り入れることでどのような展望が開けるか、という、きわめて具体的な提案の中にしかないと思うんだけど、とりあえず「西洋と違うからダメ」という議論は感傷に過ぎないよね。

2011-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20111012221049

から別に法的拘束力もないし、表現の自由侵害してないよw

それをセカンドレイプと感じる人も居るってだけ。


話はちょっとずれるが、いじめられた奴にも2タイプある。

いじめ反対・撲滅ってなれる奴と、いじめの話題すら嫌う奴だ。

4万人だかの追跡調査も、俺にいわせりゃ古傷抉る行為だけどな。

でも必要なんだろ?

公益のためにさ。

から、個人の感傷に関わらず踏み込んで、「嫌と言われたら止めてあげる」って言うんだろ?

全然問題ないし、公益になるのだから、やればいいと思うぜ。

おれは、「セカンドレイプだ」って言うだけ。

2011-10-07

twitterをやっていて、ボクが合わないなと思った人のタイプ

趣味とか嗜好とか立場とか、そういうのが合わないというのとはまた別な話。

■不確定情報真実として扱う人

死んでもいない人を死んだことにして、惜しい人を亡くしたとかつぶやいちゃうような人。

この馬鹿が一人で言ってる分にはまあ糞野郎氏ねってフォロー外してオシマイなんだけど、フォローしておきたくなる人も感化されて「本当なら寂しいですね」とか書いちゃうから害悪まりない。

価値基準がいち早く感傷に浸ることで情報通だと周囲にイメージつけたいんですかね、このタイプは。

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自分が(自分の代理が)常に主人公

人それぞれ、何かニュースがあったら一言何か意見したくなるのはわかる。

でも、何のニュースがあっても自分が熱狂的に愛する何か、アイドルでも歌手でも役者でもチームでもいいや、それにこじつけて語っちゃう人。誰かが死んだら私の好きな○○が死んだらと思うとー、誰かが成功したら○○がぁ~。

うん、君がその○○を好きなのはわかった。

似たタイプとして、いか自分が熱狂的かをアピールするのに必死な人。「○○が大好きすぎてぇ~」「○○がないと死んじゃう」

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ねじ曲がった「自分の都合のいい解釈」を前提に論評しちゃう人

一番わかりやすい例は「平野綾所属事務所解雇される(クビになる)」かな。

このケース、平野綾自身が所属事務所に対して契約解除を求めたというのが事実だったんだけれど、事務所が「ファンクラブを解散します」という文書を出した段階で「平野がついにクビになった」と騒ぎ立てる人が多かった。

彼ら、彼女らにとっては平野解雇される、イコール平野が自らの意思にかかわらず酷い目にあったほうが気分がいいからそういうモノカキをしちゃうんだろうね。

ドヤ顔で「アイドルなのにキス写真流出しちゃったんだからしょうがないよなー」とか書いてるのを見ると、ああ、この人と友達になりたくないな、と思う。

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略語が個人的すぎて理解できない人

twitterって文字数限られてるから略語使って圧縮するって考え方はまあわかる。ソフトバンクモバイルをSBMって表記したり、横浜ベイスターズをYBと表記したり。略語として定着したり、団体などが自ら使用してる場合は、まあ文脈からだいたい理解できる。

どっこい、よくわからない略語日常的に使って何言ってるかわからない人、たまにいますよね。「俺はそれをよく知ってるし俺は理解できるから省略表記」なんですかね。

TKGとか、このあたりは最初意味からなかったけどだんだんなじんできた。ADPとか未だにわからん。ググってもわからん

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■○○ってマジなの?

ググれカス

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■誰かのtweetに対して、○○を××に空目と絡んでばかりの人

言われたほうはどーせいちゅー。

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■□■総評

「フォローリムーブ自由です」ってプロフィールに書いてあったら、何書いてもいいみたいな考えの人は合わない傾向。フォロワー勝手に俺をフォローしてるんだし、合わなければ外せばいいじゃん、という問題じゃないんだにゃー。

少なくとも今お前がしたtweetは、お前をフォローしてる何十何百何千の人のタイムラインに流れるんだよ。それについての責任感というか、配慮が欠けている人をガンガンリムーブしていったら……。

どうやら、俺にはtwitterは合わないようだ。

父親が参考にしてる子育てサイト見つけたwww

http://psychotoolbox.web.fc2.com/parent/

無茶苦茶沢山項目があるが、父親がクリックした場所も分かっているので書いていくwww

父はこのあたりが気になるらしいwww

・問題解決を委譲する

・解決策をめぐって子どもと対立が生まれそうなとき

子どもと一緒に問題に取り組むとき

・自主性を育てる

責任を持たせる

読者の方も、父にこういう悩みを抱かせる私がどういう人間かなんとなく想像ついたのではないだろうかwww



私以外の家庭でも、何か問題があるなら、お父ちゃんにこのサイトを教えて、興味がある項目を5つ選択してもらうとかすれば

父と子供で会話するよりも、ずっと客観的に相手の問題意識が判って会話しやすいかもしれないと思ったねwww





逆もしかりだよね。

子供から大人に対する問題意識もこういう風に一覧でまとめてるサイトがあったら完ぺきじゃねwww

はてな民は、親への不満を感傷を交えて共感獲得ゲームの道具にするのが大好きみたいだけど、

そういう一時の慰めのために長時間を費やすんじゃなくて、こういうサイト作ってみた方がいいんじゃねwww

どんだけ傷ついたとか理不尽な目にあったからといって、それが自分や他人の役に立たないならただの自己憐憫でありオナニーだよねwww

最近ホッテントリしたyuhka-unoの文章とか、なにこの公開オナニー恥ずかしいwwwとしか思わんかった。

あいうのが書けてしまうくらい人格のどっかがぶっ壊れてしまうのがアダルトチルドレンなのだという表現なのだとしたらたいしたものだけどねwww




というわけで、まともなはてな民は、このサイトをお手本にして、未来アダルトチルドレンを本当の意味で救うサイトをみんなでつくろうぜwww

2011-09-29

オザケン

CDをたくさん持っていた。iTunesに手持ちのCDを入れる作業の途中で嫌気がさして、そのままになっていたのを前の休みに完了させた。

その中にあった小沢健二CD、気が向いてかけてみたらやっぱり好きで、今週ずっとオザケン聴いてる。地元田舎暮らしてて、東京に憧れまくっていた気持ちを思い出して泣きそうになってしまった(大学東京に出て、就職して、何年かして実家に帰って来た今だから余計そうなのかも。東京では挫折をしたから)。

それとは別に、やっぱりオザケンいいなあと思う。賛否両論ある人だとは思うし、自分の評価は思春期感傷を含んだものからある意味アンフェアだとは思うけど、やっぱり心を揺さぶる。そうやって聴きながら、どんな年代であっても皆それぞれその年代ヒット曲とか覚えていて、好きな曲や思い出の曲があって、イントロが流れたら涙腺に来るような曲があるんだろうなと思った。今の子はどんな曲がそういう記憶になるんだろうな。

好きな音楽を聴くっていいな、歌詞を口ずさめるような歌があるっていいなと思ったから、感傷にまかせて書いてみた。はてなの人たちにもそれぞれそんな曲があるのかなと思うと、なんかみんなが友達みたいに思えるよ。

2011-09-27

私は日記を書こうとしただけ

http://anond.hatelabo.jp/20110926141342




考えをまとめたり、これからどうするか、や、状況判断や

それなりに書く事で感傷になるかと思った。



こういう事で嫌なのは、知恵遅れでもそうだったけど、病気の人全部が悪いというわけじゃないんだけど、変な意味で仲間だと思ってるのか、無茶苦茶言っていい相手だと思ってるのか

自分なら、もっと前に”毅然として”親をバットで殴り倒しますね・・みたいな事を回答として書いてきて

自分キチガイです。通院しています  とか書いてくるような人が寄って来る事




叩きにしても、ここhttp://anond.hatelabo.jp/20110922153339証明できない事で決め付けるのは、決め付ける方にも問題とあるように、叩かれる事がではなく、寄って来てる相手がおそらくは本人が叩いている状態に近い人たちなのではないだろうか?と考えられるから嫌。

これは決め付けじゃありません。推測です




仮説と事実の区別さえ付いてない。その状態で叩きまくる。

気味が悪い

2011-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20110915044508

自分勝手感傷記事に見える。自分可哀想って臭い匂いがぷんぷんする。

元増田は相手がすることを待つだけで、自分からはなにも与えてこなかったのではないだろうか。

ちゃんと愛情表現をされて、相手が自分を愛してくれていると実感していたら離婚なんかしないだろう。

養育費を受け取り続けたのは自分が得をするからで相手に対する気遣いがまるでない証拠ではないだろうか。

結婚したのに元増田のように自己中な人間で、離婚後もなにも気遣いがない扱いをうければ絶望して死にたくもなるってものだ。

2011-09-08

ガラクタ処分

部屋の整理・掃除をした。

まり上手くならず弾かなくなった楽器ザイルなど古くて危険になった山道具、

流行遅れで色あせた衣類、もう読まないだろう固い翻訳岩波文庫世界名作、

見もしないB級アニメ漫画ゲーム攻略本などなど。

自分が思ったよりも大量に捨てるものが出てきた。

感傷よりもスッキリ感で気持ちいい。

2011-08-19

抜け殻

俺にはとりえが無い。

学も無い。親は英語も読めない中卒、俺は田舎の公立高校卒。生まれや家庭環境の悪さを自覚しつつも、全く努力して来なかった。

生活で精一杯だった。勉強するなら金を稼いで来いという大人に暴力でがんじがらめにされていた。愚かさと生活の厳しさに甘え、若いうちに勉強をする一生に一度の機会をドブに捨てていた。まあ、それも今だから思えることだ。当時は本当に金と生活で精一杯だった。高校を卒業して稼ぎが多くなるまで、マンガの本一冊でさえ買ったこともなく、ドラクエポケモンも触れず、好きな音楽も無く、ただ必死に生活していた。

年月を経て、自由なお金を手にして同世代の人々を眺めたとき、人には色々と特技やこだわりがあるのを知った。同時に、自分には何も無いのだと気付いた。

趣味も、好きなことも、得意な事もない。好きな音楽、好きなデザイン、好きな小説、好きな観光地、好きだったアニメ子供の頃に夢中になったこと、そういうものが何一つ無いということに気付いたのだ。

俺以外の人間は、好きを語るとき楽しそうにする。逆に嫌いなものに対してぶちまけたりする。俺にはそのどちらも精神を燃やす眩しい行為に思われた。自分以外の全てが上の階層にいるように感じられた。同じように見えて違う仕組みの動物なんじゃないかと思える程だった。

社会に出てからも、何をやっても人並みにできない、自分の力が及ぶ所なんてどこにもない、そうずっと思い続けていた。

そんな俺でも、いくつかの仕事を経て、少しだが自分に向いていることがあるのに気付いた。それは人に教えるということだった。多少できることを人に教えるとそれなりに成果を上げてしまう。教えるのが上手い訳ではなく、人が伸びそうな糸口を見つけるのがちょっと人より早いだけだ。人を好き嫌いで見ないからかもしれない。

しかし、自分でやるとなると抜きん出て優秀なことはない。

しかった。そして不思議だった。

人というのはあんなに活力と熱意に溢れ、感傷的で精巧な中身ある生き物なのに、全く中身のない俺に騙されてしまう。

この増田だってそうだ。仕事での実体験や少しかじった技術を元に、多少カッコつけながら最小限の推敲をして文章を書いてやれば、ブクマなんて簡単に稼げてしまう。適当に書いた文章でも二桁、それなりにかりそめの熱意を込めて書いた文章なら三桁稼げることも珍しくない。何故こうも簡単に人は騙されてしまうのか。本当の聡さも学も熱意もセンスも俺には無いというのに。

ただ熱意があるふりをして書いただけの文章なのに、人は熱意ある反応を返す。不思議だった。

しかしこうも思えた。たとえ本物の意思を持って成したのでなくとも、抜け殻のようなものであっても、それが人に影響を与えたのなら、そこでそれは表現になりえたのではないだろうかと。

随分甘い考えだな、と思う。

ネット匿名をいいことに、俺は抜け殻を撒き散らした。動画イラストを作った。ネットゲームTAに参加して記録を残したりもした。人々から返って来る反応、ゲームで競いチームワークを育んだ相手の熱意・・・ それらは本物に思えた。次第に楽しさは感じられるようになった。それでも、空しさは変わらなかった。仕事でも同じだった。自分以外の全てが上の階層にいるように感じられ、本物はあそこにしかないという漠然とした距離感は今も無くならない。

俺はずっと人が怖かった。そんな怖い人たちが、中身のない俺に反応を返してくることも怖かった。理解できなかった。人々はみな俺に騙されたふりをしているのかもしれない。なのに、俺は誰かから反応をもらう時だけ、自分の中に本物があるような気分になれた。

最低だな。俺は、人を恐れながらも、自分精神価値を感じるために人に依存している。そうしなければ、自分に何かあると思えないんだ。

たとえ本物の意思を持って成したのでなくとも、抜け殻のようなものであっても、それが人に影響を与えたのなら、そこでそれは本物になりえるのだろうか?

その空しさを抱えながら、今も抜け殻をここに書いている。

2011-08-05

http://anond.hatelabo.jp/20110805035316

風俗(やAVアダルト本)を正当化、利用する人たちは、どんな言葉を並べ立てようと、

ビッチだなあ、貞操観念ないなあ、と常々思っています

風俗(やAVアダルト本)を正当化、利用しておきながら、秒速5センチメートルあたりを観て感傷して純愛なんて言い出すと、ほんともうスイーツだなあ、と思う。

2011-06-03

その事実に気がついたのがあまりにも唐突かつ脈絡の無いことだったので、わたしは心底びっくりした

夜中に一人でテレビを見ていた最中のことだった。マグカップに紅茶を満たして、いやにCMが挟まれるアクション映画を眺めていたわたしは、ふいにわたしという内実が空虚であることを悟った。

それはもう天啓というか、ピンと光り輝く雫が頭の上に垂れてきたような発見であり、驚愕に眼を見張るだとか愕然のあまり硬直してしまうなんていう身体的反応をも許さず、呆れんばかりの正当性でもってわたしの身に降り掛かった。否定することも拒否することも叶わない。ただひたすらに、ああそうなんだ、と納得することしかできなかった。

わたしという人間は、その精神の底に到底見過ごすことのできない黒穴を孕んでいる。穴は、いわば吸引力を持たないブラックホールのようなもので、わたしが見たり聞いたり触れたりして得た感動なり情動をするすると呑みこんでいってしまっている。

思い返せば、わたしは誰かからよく冷めやすい性格をしているよね言われたことが多かった。マグカップをサイドテーブルに置いて記憶の糸を手繰り寄せてみると、出るわ出るわ、級友や部活友達先生サークルの仲間、同僚や上司からも、冷めやすい性格であることを示唆する言葉をたいへん多く頂戴していた。

家族からも頻繁に言われていたくらいだった。ぼんやり映画を眺めながら、わたしはわたしの中にぽっかり開いた黒穴を意識してみる。

膨らみを持った円筒形のわたしの底に、黒い点がちょこんと穿たれているようなイメージ。上の方から注ぎ込まれたたくさんの感情は、円筒形のわたしに認識されながら、やがて黒穴へと近づいていく。ぎゅーっと引き伸ばされるように圧縮されて、底の見えない穴の中へと落ちていく。

なるほど。確かにそういうことになっている。それは紛れもない事実だった。確認はできないけれど、わたしはどうしようもなく確信してしまったのだ。気付かされて、受け止めてしまった。わたしの中にはびっくりするくらい何でも呑み込む黒い穴が存在している。

わたしは、助け出したヒロインを目の前で殺されてしまった主人公をぼんやり見やりながらふと、黒い穴に落っこちた感動や情動はどこへ行ってしまったのだろうなあと思った。わたしの中にある黒穴に落ちたのだから、当然わたしの中にまだ残っていてもいいような気がするのだけれど、なんとなくそれは間違いであるような気がしてならない。

なにせわたしには、受け取ったはずの感動を絶対的に手放してしまっているという実感があったのだ。いや、実感などというあやふやな判断で論じなくてもいい。事実として構造上わたしはそれらのものを汲み取ることができていないのだった。

記憶として、あるいは思い出としてならば、確かに追想することは可能である感傷に浸ることだってできる。身悶えするようなこともいくつかは経験してきたのだから、そう言った記憶を思い返すことなら、わたしにだってきっとできる。たぶん絶対にできる。

でも、追体験だけは絶望的に不可能だ。わたしはその時その時で落ちゆく感動を確かに観測してはいたものの、それがいったいどのような感動なのか、どのような実像を持つ『もの』であるかを、記録すること以外に汲み取ることができなかった。いつどんな時であっても、わたしは落ちゆくものどもについて、実体があるものとして肉体的精神感覚で感じ取ることができなかった。

つまるところ、それらの経験はただただわたしの前を通りすぎていっただけで、最終的に穴に落っこちたのだ。その先のことは全くわからない。どうなってしまったのかなんて今まで考えたこともなかった。

どうしてなのだろう。どうして穴の奥のことがわからないのだろう。考えて、わたしは黒穴の底を覗き込んでみようと意識を傾ける。わたしの中にある黒穴。きっと見つかると信じていた。目の前の画面では派手な爆発が断続的に生じている。誰かが大声で叫び声を上げている。紅茶は半分ほど飲んでしまっていた。結局黒穴の底はちっとも見通せなかった。

不思議なものだ。少し疲れたわたしは眼を閉じて深く息をついた。それからもう一度、不思議なものだと思い直す。わたしの中にあるはずの黒穴は、わたしではないどこかへとその穴をつなげているのである。その精神構造上の不可思議さが奇妙だった。わたしはわたしとして今ここにいるはずなのに、そのわたしの中にわたしではないどこかへとつながる穴が開いている。わたしはわたしであるはずなのに、同時にわたしでない何か、あるいはどこかを内包している。受け皿としてわたしは、決してその穴の行く末を確認できず、ただただ呆然とすることしかできないのである

すごいな。素直に感心した。わたしとわたしの中にあるわたしじゃない黒穴との間に生まれた関係性にひれ伏さんばかりに感心してしまった。不思議なことがあるものだ。三度そう思ってわたしは紅茶をすする。ずるずるずるずると。たいへん美味しく頂く。上手に淹れられたのだ。少なくなっていくのが惜しいくらいだった。空になってからも、寂しい気がして紅茶を吸い込み続けた。どんどんどんどん、吸い込み続けた。するとマグカップが、マグカップを持っていたわたしの手のひらがきゅーっと引き伸ばされて口の中に流れこんできた。音もなくわたしはわたしの身体を呑み込んでいく。するするするすると呑み下していく。右手を、肘を、肩を。喉は一度も嚥下していない。それでも勢い良くずずずと呑みこんで、右胸を下半身を、左脇腹を胃を肺腑を心臓を左腕を両耳を頭蓋を眦を鼻頭を、どんどんと口の中に含んでいく。

ついには口まできゅるるんと吸い込まれて、わたしはわたしの中にあった黒穴になる。黒穴がわたしで、わたしは黒穴の中にありながらまたその中に黒穴を抱いており、何度何度も吸い込み吸い込まれていくことを繰り返している。

わたしという内実は空虚なのだ。

一際大きな爆発音と閃光がテレビから発せられた。はっとして我に返る。いつの間にかマグカップを手にしてぼんやりしてしまっていたようだった。

映画の中で助けだしたヒロインを主人公が抱きしめている。この先彼女は殺されるのだっけ。思ってぼんやり見ていたけれど、結局最後までヒロインは死ぬようなことはなく、悪役は倒されて幸せエンディングを迎えることができた。

チープな物語あんまり面白くなかった、と感想を抱きながら、淹れてから一度も口に付けなかった紅茶を飲もうとマグカップに手を伸ばした

同時にほとんどマグカップが空であることに気がついた。

ほんのりと温もりを宿した陶器の底には、飲み干した紅茶が少しだけ残っていた。

2011-05-20

原発事故を安易な資本主義批判に持っていきたい人々。

東日本大地震を契機に、「オピニオン」を売り物にしている人たちがやたらとご乱心をして、見当はずれなドヤ顔を晒してしまっているのをたくさん見てしまった。

裏情報によるとあれはどうだとか、オタク文化が成り立たなくなるだとか、わいわいがやがや

地震津波の影響で、原発が壊滅的な被害を受けてしまったのは皆さんご存知の通り。計画停電等で関東全体がしわ寄せを受けていたり、東電原発処理で醜態を晒しつづけているのも周知の事実だ。

そして、今回の事故を受けて、改めて原発の意義やエネルギー問題が議論として浮上してきた。ぜんぜんクリーンじゃないぞとか、作業員への手当がいい加減すぎるとか、放射線の影響はぜんぜんないorけっこうヤバいだとか。しかし、以下の発言のような方向にいってしまうのはどうなんだろう?



今回の異常事態で20世紀を貫いて絶対的な権威だった「科学」そのものが破綻した瞬間を日本社会は味わったのではないかと感じている。自分もその一人。今科学者技術者が「問題は想定外だったこと。これから大地震にも耐えられる原子炉設計すればいいまでのことだ」と言ったら…信じる?

死の影を見ず、コンビニエンスに生き、自然界がディズニー表現されている、いたって都合がいい、幼児的な宇宙に住む権利を捨てなければならなくなった。自然に謝って済むものではない。人格を超えた相手は管理できない。人間の「ごっこ」はあまりにも非力だったことがばれた。

呼吸法坐禅だけでも相当に有効な洞察が得られるかもしれない。コンビニエンス社会マスコミ意識を委ねるなど他律的な面が強調されるけど、便利さを捨てて自律的なライフスタイルへと徐々に切り替えていくというソリューションもあるかも。風力、太陽光以外に。

ミュージシャン作家フォロワー1万5000人のモーリー・ロバートソンさんのツイート



この手の「資本主義社会を見直そう」みたいな動きはあちこちで見かける。計画停電都市機能が大きな影響を受けたが、そもそもこんなに電気を使う社会のほうがおかしいんだ。今の社会にある便利なものは、多くの犠牲に成り立っている。不便を受け入れて健全で質の高い社会を目指そう。

……みたいな意見

なんだか「スローライフ」だとか「ロハス」だとかいった単語を思い出してしまう。どちらも自然志向ライフスタイルだ。競争に明け暮れるのはやめて、もっと価値のある食事に時間をかけようだとか、科学の発展で本当に価値のある何かを失ってしまっただとか、そんなような。要するに自然回帰

そこまでいかなくても「経済を縮小させて云々」なんて言い出している人はごまんといる。

今回の原発事故を受けて、何でこんな発想になってしまうんだろう? おそらく、こういう人は元々ここういう考えを持っているんだろう。今回の事故から自然回帰的な発想に至ったんじゃなくて、「資本主義って何か嫌だな」「大事なものを失っているんじゃないか」って日頃から考えていて、安易に原発事故に繋げてしまっているんだ。

だって、これって原発事故とまったく関係ないじゃない。

事故で問題だったのは津波対策をきちんとしていなかったことと、東電隠蔽体質を発揮して泥沼に陥ってしまったことだ。そこで考えるべきことは、もっと確実な地震対策、津波対策はないのか、想定の精度をあげるにはどうすればいいのか、隠蔽体質に陥らないようにするにはどうしたらいいか、だ。

私には資本主義がどうこう言い出すのは、答えのだせない大きな話にして逃げてるようにしか思えない。

こういう人は何でもかんでも資本主義反対に繋げちゃって、貧しいアジアを見て「でも、ここには日本人が失ってしまった何かがある」とか言っちゃうのだろう。きみが感傷に耽っている数秒間に、水不足で死んじゃう人が何人もいて、それは科学の力で救えるんだけど。

もちろん、原発代替案は探っていかなきゃいけない。でも、「昔に戻る」はとても安易な考え方だと思う。私には思考停止に思える。

だいたい、脱原発で昔の生活に戻ったって津波がきたら死んじゃうんだけど、こういう人たちはそれをどう思っているんだろうか?

2011-04-13

イジメ加害者感傷に浸ってたり、衒ったこと、いいこと書いたりしてても、小汚いとしか思えないや。空が綺麗、人生うまくいかないだなんて、小汚いとしか思えないや。

2011-04-08

http://anond.hatelabo.jp/20110407001839

激しく同意

勝手感傷してんじゃねーよ、遠く離れた他人だろーがって思うね

2011-02-27

解散mae三十路前の自分マジ泣き@渋谷クアトロ2.23

一人で遅刻していった、後ろの入り口近くでぎゅうづめで、暑い空調の中で。

ラフな格好したメンバーが、自分が年取った分だけ年取った顔して、人だかりの向こうで演奏していた。

everglowが出てから、もう何年だ、6年か、ここにぎっしり詰まった観客の一人ひとりが、

その6年分だけ若い自分maeの思い出があって、それを無意識に反芻しながら今ここで耳傾けているのかと思うと、

年月の重なりと、そんな感慨も飛び越えていつまでもしい音楽とにもう泣けてきた。

途中から全然知らない周りの人たちも号泣してて、

from Toledo to Tokyo, the words were scribed on every page and…のくだりでぐっときて、

アメリカの片田舎から来た僕たちに日本のファンたちはよくしてくれました、というMC聴いてまた泣けた。

6年後、自分が成長したのかどうなのか分からいままの2011年maeさよならを言って帰っていった。

どこに? 自分らの心にか。まさか。それは自分の思い出だけだ。

社会に出て、自分もひねくれてしまった中で、変わらずエヴァーグロウだったものを見たのがこの日だった、

いや、思えばmaeはずっとそういう音楽だったのだ。心の中の耳に残るもののひとつ

2度のアンコール終わっても、照明があがっても、最後まで手を振っていた。

自分CD買ってライブ行って彼らに貢献したのか、いや、対価っていうんじゃなく、

もっといろんな美しいものをもらっていたような気がする。

感傷かもしれんが、人生ひとつあってくれてよかったっていうものって例えばmaeだったよなあと思う。

明日からも頑張るか、はったりの掛け声だけでも、

ipodに突っ込んだmae聴きながら仕事行こう、多少足音だっていかもしれないじゃないか

ありがとうでは言い足りないほどだ、mae好きだったよ

2011-02-09

引越し先のワンルーム家族が住んでいた形跡が残っている

業者でも取り除けなかった軌跡。

僕もいずれ、ふとしたことで恋におちてふとしたことで子を設けた場合、こういう家に住むことになるのだろう。

ワンルーム家族が住めるってのも珍しいが、僕の懐事情だとそれに賭けるしかない。

あの僕の衣装だけで三割は使う押入れに、三人の布団が収まっていたのだろうか。

あの狭いお風呂場に、親子が仲良く入っていたのか。

感傷に浸る。

2011-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20110131232446

生まれてすぐ家に帰ったのか。

そこ、家に帰ったんじゃないと思う。

感傷に浸って夜風にあたりにきたと判断している。

2010-12-28

はやぶさ擬人化、いいかげんにやめれ

はやぶさ地球を見せてやりたかった

ってw

いや宇宙から腐るほど見てるっちゅーの

技術者の個人的感傷なら許せるけど

それを繰り返し報道するマスコミ(特にNHK)ってどーよ

2010-12-03

飛び降り

飛び降りる直前に、飛び降りる合図として落とすと決めていたケータイはもう既に落としてしまったのかもしれない。

この二、三週間ただひたすら怠け続けることで僕は最も勇気のいる最後の一歩すらいとも簡単に踏み出せてしまった。

今ものすごいスピードで落下している最中なのだけど怖いだとか取り返しのつかないことをしてしまっただとか、そんなことは微塵も思っていない。

ああこんな感じだったかな、昔の挫折って。懐かしいな、頑張ってたなあの頃の僕は。ってむしろ昔の自分の健気さを思い出して感傷に浸ってしまえるくらいに目の前に広がる景色は綺麗だ。

落ちてるさなかでもうすぐ何もかもまっさらになってしまえるということを心行くまで想像してみると、地に落ちてぐちゃぐちゃになる0.0001秒前くらいまでしっかり目を見開いて生きていたいとも思うよ。

今さらだけど。

2010-11-07

秒速かぶれの男

秒速かぶれの男は、大したことないどこにでもある振られた話を自分自身に重ね、感傷して悦に入ってる。女はすぐに忘れるという定説盲目的に信心している。僕がふられたのは僕のせいじゃなくて、こんな軽薄な女のせいだ、と。

2010-10-19

努力の過程を評価して!』という甘えた商法いつまでも通用しない。

日本酒の消費量が10年間で4割減らしい。


その理由としては、いろいろ考えられるが、

・悪酔いしやすい

チューハイカクテルのようなブレンド酒の提案ができなかった

・洋風の濃い味付けの料理に合う酒を提案できなかった

ダサい、親父臭い(ワインのようにオシャレでない)

・「会社上司から説教とともに半強制的に飲まされる酒」だったが、

 職場環境の変化で、「上司日本酒を部下に強制できなくなった」

 (下手すればパワハラと言われる)

・量が多い(一升瓶なと消費しきれない)

などがある。


これに対して、日本酒関係者からは

「創業数百年の●●という蔵元がなくなるのはさみしいことだ・・・」的な

感傷コメントがあったりする。

「あの蔵元手作りで、原料にこだわって・・・」というように。  

http://www.tokusetsu-news.com/entry.php/901


しかし、「生産者がいかに努力して」ようが、

「いかに数百年前から製造している無形文化財」だろうが、

「今の消費者が美味しいと思わなければ、なんの価値もない」のである。

どうも生産者側、というより日本酒マニアの中には

手作りだから、苦労しているから、その分の価値消費者側が評価してくれるのが当然」と

いうような思い込みが強いのではないか?


消費者の立場から見れば、手作りだろうが、大量機械生産だろうが、

「美味しくてかつ安ければそれでいい」のである。

言ってみれば「結果が全て」。


なのに、「過程を評価してくれない」と泣き言を垂れているのが、今の日本酒業界じゃないか?

これを裏返せば「過程が無努力だと、結果が良くても評価しちゃイカン」という論理になってしまい、

以前はてな匿名ダイアリーであった「仕事マクロを組んで結果を出したら先輩に怒られた」という論理になる。


さらに言えば、近年農水省文科省提唱している「食育」「スローフード」なんかも

「結果なんかより過程を評価しろ!」という考え方である。


スローフードにすることで、有意な栄養学的メリットがあるのか?

そうでなければ、「結果に関係なく、過程だけ評価して!という

日本酒業界と同じメンタリティということになる。


※まあ、今の地方自身、結果を生み出すことが出来ず、 

 「過程に四苦八苦していることを見せ付けて、都会の同情を集める」

 ことでしか生きる術がないからなあ・・・

 日本酒蔵元地方経済文化の拠り所だったりするし。


余談だが、先日立ち読みした週刊ポストで「芦屋文化特集」というのがあって、

阪神間の酒造メーカー当主が芦屋文化に多大な影響を与えている、と書かれていた。


となると、需要4割減という日本酒への逆風の流れは、酒造メーカー当主、

芦屋文化にもボディブローのように響いてくるのでは?

所詮、阪神間といえども、

蔵元にある程度経済文化を依拠せざるを得ない程度の地方都市」だったのか。


伝統企業に混じって新興企業が勃興して、世界に進出している京都と比べると、

阪神間では企業勃興のダイナミズムが薄れていて、「先代の遺産食い潰し」という芦屋文化になる・・・

2010-10-14

中古ポケモン買ってきた

最近嫌なこと続きでむしゃくしゃして、この前つい中古ポケモンハートゴールド買ってしまった。

起動してみたら前のデータが残ってたので、めぼしいものをプラチナに移送。

でもいるんだよな、やっぱり、改造ポケが。

ウン番道路レベル10ぐらいででてきてるグラードンとかな。

改造一帯だけ、親の名前が全部一人だった。

たぶん元の持ち主の友達か何かだろう。

 

もちろん改造はつれて行けない訳で。

データ消す前に育てや覗いたらなぜかメタモンと改造カイオーガが。

そして約一か月前の日付になってるポケウォーカーからナゾノクサ救出。

 

いよいよリセットって時に、改造ポケばっかり残ったボックス見てたらなんか涙出てきてしまった。

私生活が散々で感傷的になってたのもあるけど。

あーこいつらなんで生まれたんだろうな。

元の持ち主には売られ新たな持ち主に消されるだけの運命なのになんでこいつらここにいるんだろうな。

っていうかたかがデータになんで俺はマジになっちゃってるんだろうな。

とか思いながらなぜか号泣しながらリセットした。

なんかそのままプレイする気にならなかったので、元も子もないと思いながらその夜はそのまま寝た。

2010-10-06

飼い犬が交通事故にあった

とても大切にしていたはずだったのに、今とても危ない状況にあるというのに、どういうわけかあんまり心配するような気持ちにならない。

いなくなってしまうのならば仕方ないのかなって、そんな風に捉えてしまっている。

どうしようもないのかなって、なるようにしかならないのかなって。



思えば僕は彼女に対して十分な世話をしてあげられたわけでもなかった。構うのが面倒なこともあったし、振り返れば後悔すべき事柄もたくさんあるのだろうと思う。

そもそも家になんて来なければよかったのにと哀れむことが何度かあったのだ。彼女の幸不幸を考えるといつも答えが見つからなったし、今もわからない。

ただそれでも友達として、代えがたい家族としてそれなりの関わりを持って付き合ってきたつもりだった。

少なくとも、家族の中ではよく遊び、散歩に行き、愛情を持って世話をしてきたつもりだった。

たくさんの時間を共有していたはずなのに。



今朝方、電話がかかってきて二回目の手術をする段取りが決まったらしい。医者は覚悟しておいてくださいと伝えてきたのだという。

母伝にそのことを聞いても、僕はあんまり何も思わなかった。そう。そんなにひどかったんだと、単純に事実を受け止めただけだった。



愛犬がいなくなる。そういった可能性を考えるとき、心を満たす喪失感に酔いしれそうになる自分がいる。

いつだって喪失は綺麗なのだ。どんな形であれ、失われたものは何ものにも変えがたい価値を伴って輝き始める。

喪失美的感覚のある極地に達するものだと思う。



そして、そんな美しさにあてられて感傷的になっている僕自身のことがひどく醜い存在であるように思える。

こんな文章を書いてる時点で終わっている。腐っていやがる。

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