2010-05-31

y_arim「差別を見つけたくてしかたがない」

http://d.hatena.ne.jp/tyw/20100530にて。

【元エントリ】「同性愛者だと誤解されるから○○されると迷惑」という発言を差別というのがいるけど、これは誤解が迷惑かどうかの話。差別の話とはちょっと違う。(大意)

y_arim 2010/05/31 03:48 その発言を読むにあたっては、この社会において「同性愛者だと誤解される」と何が起こるか、という背景を考慮せねばならないのではないのでしょうか。

んな馬鹿な。

「背景を考慮せねばならない」わけは無い。異性愛者と同性愛者が「平等」な世界が仮にあったとする(まあありえないと思うし、あるべきとも思わないけど)。ここでさえ、異性愛者が同性に「好きだ、付き合ってくれ」と言われたってとどのつまり断るしかないわけで、言われたほうは相応に迷惑するなり困るだろう(念のため。各々を同性愛者/異性に替えても話は同じだ)。なら、あえて誤解をされるより、前もって誤解を拒否したって構わない。ゼリー好きだと誤解されたら中元にゼリーが来て迷惑だ、というなら「ゼリー好きって言われたら迷惑。俺は羊羹好きだ」と言えばいい、ってのと違いはないわけだ。

もちろん「この社会」は二者が平等ではないが、それでも平等にしか思わない人はいるだろう。そんな人でも、迷惑なら迷惑と言って問題はない。つまり、発言が差別とは限らない。発言が「背景を考慮せねばならない」とは限らない。それとこれとは別の話だからだ。

言うまでもないが、きっちり差別意識丸出しと考察可能な発言に「背景を考慮」して「差別!」と批判をするのは、それはそれでいい。やりたきゃどうぞ、という話だ。しかし、差別意識がはっきりしないのに、差別意識存在考察できるかどうか判らないのに(元エントリも具体的記述がなんらない以上、考察可能なケースである保障は欠片もない)、「同性愛者だと~」という発言を十把一絡げに「差別意識の表れ」と返すことができる筈はない。差別的な背景を考慮「せねばならない」わけはない。

迷惑の話は迷惑の話。差別の話は差別の話。ゆえに、迷惑で差別も、迷惑で非差別もある。ただそれだけだ。なのにそれを勝手に混同して迷惑=差別考慮、としてしまうのは、単なる偏見にすぎない。

さて。

エントリの人は説明を既にしていた。なのになぜ、こんな偏見勝手にうまれるか。それは、y_arim、彼がお勉強甲斐もなく差別にどっぷり漬かっているからだ。他人の差別を暴くのに必死で、自分差別思考に気づけないからだ。そのくせ、自分正義を説いているつもりなのだろう。ある種、最悪の差別者と言わざるを得ない。

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