ウンコの例えば適切じゃないと思うよ。少なくともあなたのスタンスとは合わない。
ていうのは、笑いってベタ→ひねりのくり返しなんだ。
ベタな笑いってのがある。でも笑いって意外性だから、そのうちベタでは笑わなくなる。
するとひねるわけだ、そう来たかと。その瞬間笑いが生まれる。
ところがそのひねりも慣れるとベタになるわけだ。あたりまえになってしまう。
するとそれをさらにひねり、それがベタになり、それを繰り返してシュールになっていく。
ここでポイントが二つあって、一つは、このベタ→ひねりを共有してこなかった者にとって、そのシュールは単にわけのわからないものであって、ひねりには見えないということ。
もう一つは、ひねると言っても方向性は多様にあり、違うひねり方をしてきた者にとって、そのシュールは遠いものであること。
だから笑いは、常に3種類の者から「つまらない」と批判される恐れがある。
一つ目は、未だ「ベタ」の地点にいるもの(世間の大多数は実際これだ。彼らは笑いにそんなに興味はない)。
二つ目は、別の「ひねり」を経たもの。
三つ目は、その路線ですでに高次の「ひねり」を経たもの。
あなたは「感性の違い」と言っている。つまりそれはわからない笑いを、二つ目の「別のひねりを経ているためにわからない」と言っているわけだ。
その一方、例として出した子供のウンコの例えは、三つ目の「これベタじゃないか?」をベースにしている。つまり高次から見下してるわけだ。
あなたの本音は「これベタじゃね?」の方にあるような気がするね。
あと、おれもこのイオナズンのはそんなにおもしろいとも思わないんだけど、これのポイントって「イオナズン」よりも、「企業の採用担当によくある言い回しの再現」にあるような気がするよ。そこを共感できてるかどうか。そしてこの「みんなが知ってたけど誰も可視化していなかったことを可視化する」(ロシアフォルマリスムでいう異化)という「初めての体験」を「初めて性」として共感できてるかどうか。
そこをふまえて、その面接にキチガイがくるんだけど、キチガイに対しても「企業の採用担当によくある言い回し」を崩さないで対応する、というところに注目が行くかどうか。
その辺がポイントじゃないかなあ。
面接官「特技はイオナズンとありますが?」 学生 「はい。イオナズンです。」 面接官「イオナズンとは何のことですか?」 学生 「魔法です。」 面接官「え、魔法?」 学生 ...
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ここでポイントが二つあって、一つは、このベタ→ひねりを共有してこなかった者にとって、そのシュールは単にわけのわからないものであって、ひねりには見えないということ。 も...
自分は「なにそれこわい」がわからん。 駄洒落好きでないと楽しめないんだろうと思う。 コピペ改変とかも理解不明だ。