2009-04-23

孤独認識構造ネトウヨ寝言:番外編)

オス。オラ、ネトウヨ

ネトウヨが嫌いなやつは読まないでくれ。

だってオラネトウヨだから・・・(ジェロニモ)。

とは言っても、今回は、ネトウヨ話はしない。

孤独に対して、孤独構造を理解することで、少し楽になれるのような気がしたので、ちょっと書いてみることにした(本当は、もっと重要テーマでこの話をどこかに書きたかったのだが)。ただし、俺の独自理論なので、十分眉につばをつけて読んで頂きたい。まあ、皆さんはネトウヨは信頼していないだろうから、余計な心配かも知れないが。

さて、孤独はなぜ辛いのだろうか?

俺が思うに、一つは、自分の状況がよく分からないから不安になり、訳が分からなくなり、それが辛いという面があると思う。

では、なぜ、孤独だと、一人だと、自分の状況が分からないのか/分かりにくいのか?

要するに、視点が一つしかないということは、状況を立体な構造と捉えるのが難しいからではないか。

すなわち、三点計測のように、複数の視点で物事を見ると、状況を立体な構造風景)と捉える事が出来る。そうすると、我々は少しは安心する訳だ。自分が置かれた状況が理解しやすくなり、それはそれとして、ある程度冷静に状況を見ることが出来るから。つまり、孤独のつらさというのは、客観性喪失による不安の心理というファクターが結構大きいのではないか。

さらに言えば、自分の状況がよく分からないという不安や混乱の心理から大きな負の感情が生まれた場合、訳の分からなくなった本人が、その負の感情と一体化してしまい、結果的に周りに不幸を振りまく事態というのは多々ある気がする。

俺も似たような失敗もしてきたし、経験してみないと分からない物もあるのも確かだが、そういう面では、他人の意見もバカに出来ない面もあるよな、と思う。だから、孤独に対する耐性が強いひとは、メタ的視点を備えた、理性の強い頭の良い人や、経験を積んだ客観的に物事を見れる人だと思う。福田首相のように(半分マジです。うぉ、ネトウヨの本性が少し出てしまった)。

なので、自分の状況を話せる人がいるということはとても感謝すべき事だし、例え、話せる人がいなくても、日記を書いたりして、たまに読み返したりすればそれなりの効果はありそうな気がする(昨日の自分今日自分は違う人間だから、複数の視点を擬似的に作り出すのである。分子生物学的にも、人間の体の原子が入れ替わる周期は結構早いそうだし)

まあ、ネットに書くのも一つの方法だと思うけれども、その対処に膨大なエネルギーを使う(例えば、炎上しないにせよ、嫌なレスをもらって腹が立ったりとか)ことは、十分考慮に入れて使うべきだと思う。

  • つ 「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する。」

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