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はてなキーワード: 客観性とは

2012-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20120115093713

むしろ既婚男性女児性的搾取について関心を持つことは望ましい傾向だと思うんだけどな。

時代的な男は「自分の娘は大事だが、他人の幼い娘は好き放題に食い散らかして捨てたい」という開き直りで行動していたし、それを正当化すらしていた。

娘を持つことで男が男の欲望への客観性を持ち、批判することができるようになるのを、私は歓迎したい。

2012-01-06

http://anond.hatelabo.jp/20120106133723

読み返してみると、コミュ障自分への否定や憎悪が形になっただけの文章だった。

小説として成立させるためには読者のパイを広げることと、サービス精神重要だな。

作家になる気は皆無だが客観性を養うリハビリになるかもしれない。

作家志望が書いたつまらない小説ありがちなこと

 

 ・ 登場人物がやたら多い。

 

 これは大風呂敷だけを広げて、畳むことに失敗するパターン

 1ページか、二ページそこらで、登場人物がやたら出てくる。本人の中ではしっかりとキャラクターが浮かんでいるのであるが、いざ書きだすとなかなか先に進まない。他人に読ませても「キャラクターの区別がつかない」とか言われる。他人をお話の中にすんなり引き入れるには、多くても主要キャラクターは三人か四人がベストでしょ。

 ・読み始めて、しばらくしても何についての話なのかよくわからない。

 

 いきなり長編に取り掛かろうとする小説家志望にありがちなパターンである。ずーっと読んでいってもなんだかよく分からない主人公の日常が書かれてあるだけで、いつまでたっても事件が起きないのだ。セントラルクエスチョン(主人公は○○できるのか?)を提示するのが遅すぎる。遅くても10ページまでには何の話なのか提示しないと、読む方はあきてしまう可能性があるのだ。

 

 ・登場人物が画一的すぎる

 

 女子高生が出てきたら女子高生の口調、オタクオタクの口調や行動、ヤンキーヤンキー校長が出てきたら校長、婆が出てきたら婆、どれもこれも画一的で、その個人特有の人物造形ができていないのだ。女子高生だったらこんなことはしないだろうとか、ヤンキーはこんなこと言わないだろうかとか考えず、こいつ自身はどう動くかを考えるべき。

 ・感情をそのまま言葉表現しようとする 

 

 主人公が不安だと思ったときに、そのまま言葉で私は不安だと表現するのは簡単。

 そうじゃなく描写で表すほうがいい。不安なら、「私の進む先に暗く淀んだ雲が漂っていた」これだけでいい。

 ・敵の底が浅い

 

 これは、ダメ映画小説漫画すべてに言えるが、敵または悪役の底が浅すぎる。みんな似たり寄ったり、同じような口調や行動でありきたりこの上ない。書き手が主人公ばっかりに気持ちが入っていて、陰と陽の配分がなされていないのだ(不思議と悪役の存在感が薄い小説は、主人公も同じく薄いことが多い)

 悪役を描くときは、どうせなら主人公より悪役の方に肩入れしてしまうくらい入念に丹精込めて造型しないと、濃密な戦いは生まれないぞ。主人公以上に、なにか独特の倫理観や、哲学を持ってないと魅力は出てこない。<リンク:共犯者 (新潮クライムファイル)>共犯者関根元を見習ってくれ。

 ・退屈な生活をおくる主人公のもとに、都合良く謎の美少女が現れる。

 

 導入で、ここまでうんざりさせられる展開は他にない。冒頭に退屈した主人公の日常が延々と描かれ、突如としてその生活に舞い降りた謎の美少女。これがラブストーリーとかになったりしたらもう最悪…。導入としてはすごくわかりやすくて、お話も運びやすいのはわかるがもう一つ何かひとひねりちょうだい!

 

 ・自分でも言葉にできない鬱積した感情を書こうとしている

 自分の中に溜まった抽象的な[何か」を表現しました、と言う小説はたいがい、つまらない。こういう小説は冒頭にかならず自意識を垂れ流したような文章が長々と続き、ちょっと書いている本人が陶酔している。こういうのを描くのは、玄人向けというか、並外れた文章表現客観性がないとなかなかうまくいかないのよ。最近芥川賞とった「きことわ」ぐらいのレベルなら別だけど。

・なんか自然描写だけの小説

 

 なんかさらーっとしてて、自然とかそういう情景描写ばっかりの小説ってあるよね。たぶん自分の中では美しい情景が思い描けてると思うんだよ。でも他人ってそんなにあなたが感動したことに共感はしてくれないんだよ。よくありがちなのが自然人間の死を対比させているパターンね。

 

・文章もテーマも立派なんだけど、全体的に大したことが起こらない、地味。

 

 こういう小説が一番多い。文章もプロ並み、テーマも素晴らしい、でも地味なんだよってやつ。こういう人はとことん地味な話を書くべか、または自分が普段全く読まないような超エンタメ小説劇薬小説などを買いあさって読んで、一度頭をフルチェンジしてみるのが一番ベストである

・文章もテーマも立派だし、起こっていることもまぁまぁなんだけど、モチーフがありきたりで既視感がある。

 そこらへんに転がってるような話だけじゃ駄目なんだよな。

 ・お話シンプルすぎる。ひねりがまったくない 

  海外の古い短編なんか読むと、こんなんでいいの!?って思うくらいシンプルなのもあるけど。それは昔の時代から通用しただけのことであって、今の時代は「ひねり」をどんどん入れて、読者の意表をつかないと、すぐにあきられてしまう。じゃあ二転三転すればいいのかっていうとそういうわけでもないんだけど、読者を驚かせてやろうってぐらいのサービス精神がほしい。

 

 

2011-12-29

『ぼく、オタリーマン。』の悪いとこまとめ

普通に面白くない部分

・絵が下手

・発想が凡庸

嫌悪感が湧く部分

面白くないのにやたらと自意識過剰

・「理系」としてまとめられている非常識性・変人性がただの中二病レベル

・「オタク」としてまとめられてる趣味行動・奇行が浅すぎライトすぎ

・「過剰に論理的」とか「発想が人と違う」ではなく「凡人の変人ぶりっ子」なのがバレバレ

・一方で、本当に変というか、確かに非常識だな(それも単に悪い方向に)という部分がチラホラ見えるがそこには自覚がない

・作者の本当に変な部分は「理系」「オタク」に誤集約してスポイルする事でスルーしている

具体例でいうと 1

寿司屋ネタの正式名称がどうのと因縁つけるのの何が面白い

 冗談抜きに中学生ぐらいがいきがってやりそうな行動でしかない。

 これを本人は、読み物として提出出来るぐらい面白いネタだと思ってる。

 ずっとこの水準で「俺って面白い変人デショデショ?」なので、かなりキツい。

具体例でいうと 2

・作者の同期や彼女との人間関係だけは本当に変人というか、確かに人よりかなり劣っている。

 しかもこっちには見世物的な意識が感じられない。むしろなんかイジケたマジレスが多い。

 彼女との別れの顛末なんかも、自己中心的でナイーブな視野からの描写に終始し、

 「僕はこう感じて」「僕はこう疲れた」ばっかし。客観性論理性が皆無。

 「理系キャラが簡単に崩れて馬脚だし過ぎなのはもちろん、

 そのつまら愚痴がカネとって人に読ませるようなものか考えてないのは

 これも自意識過剰のなせる技だと思う。

漫画家として以前の欠点のまとめ

 自分の気持ちや関心と、他人の気持ちや関心と、区別があんまり付いてない。自分大好きすぎ。

 これは変人ぶりっ子な作者の唯一の「本当に一般レベルちょっと違う部分」なんだけど、

 自覚がないのでそのまんま垂れ流し。

 せっかくの本物の変人性部分なのにエンタメ変人ショーにはなってない。





あとさあ

・そもそも「普通の人と一味違う変人」としてのギャップを変人本人が解説するってのは構造的におかしい。

 「自分の思考・発想が普通の人と違うと自覚し意識する変人」て。

 それはどうやったって「自意識過剰・演出過剰な凡人」でしか有り得ない。




 『となりの801ちゃん』(読んだ事ねーけど)は

 非常識である801ちゃん世間とのギャップを

 常識である801ちゃん配偶者が観察日記的に述べていくんでしょ?

 変人や異界人を描写しネタとして提示していくにはこれしかないよね。

 『中国嫁日記だってダーリンは外国人だってそう。




繰り返すけど

 「俺ってこんなに変なんだよ」「ほら変でしょう」っていうのは変人ごっこにしかなりえないよね。

 構造からして頭が悪いし、変人ショーとしては凡人臭がき出すぎだし、自意識未整理すぎというもんだよ。

 中学生が書いてんなら良いけど、三十路サラリーマンでそれはさあ。

http://anond.hatelabo.jp/20111229005040

2011-11-01

承認の欲求ってさ、ボランティアとか弱者救済やる人にすごく感じる それとか里親も(間接的に見て思った)

はてな民について考えてたら、ちょっと前ブログを書く人について、そんなような意見があったな と思い出し

思ったより、気にしてたり、その意見を受け入れてたりする人が多いんだなあと、不思議に思ったから。



普通に共感じゃないの?と単純に考えてしまっていた



何だかみんな考えすぎだ、内省しすぎというか、謙虚   し過ぎって事は無いけど、何だかちょっと自分を責めるような客観性みたいなものも受け入れる感じがする。


そんなもんなのかな




承認の欲求、大きいと思うのは、弱者救済の人だと思う


そこに対する苦情じゃなくて、他地域でこんな事が起こってます という話も聞きたがらない。ひたすら自分達は良い人です と思われなきゃ気が済まない


あれも、おかしいと思った




上から目線 と言われましたもんw



最初確認が出来ないというような事を言うから書いたものがあるURLを送ったり、説明し、そっちからこっちに連絡もできるのに確認しようともしないのは、おかしいという意味の、「連絡できるんでしょう?」だったのに

アメブロメッセージで、私が「紹介できるんでしょう」と書いたのが上から目線だと書かれ、そんな態度の人と関わりたくない というようなに書かれ ご容赦 と結んでいた。

最初から 紹介頼んでないのに、紹介に話をすり替えようとしてきて、紹介してやるんだから、敬え! みたいな態度  こんなの最悪じゃないのか?



ツイッタの中には残ってるのに、トゥギャザッタのに、いいのか?!



だって、どこまでできるかわからないけど、弁護士司法書士あたって見るとか書かれて、よく考えて見れば、「どこまでできるかわからない」とかおかしくね?

私も自分が前にボランティアで行った事がある事務所の人から弁護士の連絡先なら渡されたけど・・・・    私のアパート保全についてちゃんとやらなかった人と同じ会に属してたりすると思うとどこまで信用できるかわからない、というような状態なだけで、名前くらいならこっちだって知っている

それに、そんな偉そうぶってする事じゃなくても、ことにもその手の無料相談電話はあるのだし、そういうところにあたりつつ、変な人が出たらみんなで正して行きましょうね、と言う形を取るべきではないのだろうか?


こっちの電話ボランティアは、良い人だがボランティアには弁護士がそんなんだとは知らないでやってる。 上に言うと言っても、上がその弁護士なのだからもっとボランティア同士で弁護士を見張らねば という考えは無いのだろうか?

http://togetter.com/li/207253

上から目線と言われた話 「私は反貧困も掲げている弱者救済の会の弁護士相談していてアパート半壊させられたんです・・・こういう話はタブーなんですか?大阪じゃありません名古屋ですボランティア電話に出ると話は受け付けます弁護士だと受け付けません。」 28日posted at 21:53:48   と送ったら、相談先がなくて困っているのかと言われ、紹介の話にすり変えられ上からからと書かれた。

2011-10-22

[] 人助けのつもりが余計なお世話になってしまう6つのパターン

せっかくいいことを言ってるのに、言い方がまずくて敵を作っちゃう人の特徴。

「何を言うか」は大事だ。「誰が言うか」それも大事。でも、そこまでは意識していても「余計なお世話」になっちゃうことが多い人がいる。

「どういうか」にも気を使えばいいのに、彼らは最後の所で自我暴走して大惨事表を振っちゃうんだよなぁ。

以下は「プロセスコンサルテーション」という本に書かれていた

「支援が上手くいかなくなる6つの罠」をはてなにあてはめてみたものです。よろしければ参考にしてください。




(1)時期尚早に知恵を与えること(早漏

 読んだ記事に対して表面的な言葉だけで「真の問題」を理解したと思い込み、役に立たないコメントを書くタイプ

 相手がそれを受け入れないと「だってお前こう書いてるじゃないか」と部分的な切り抜きをもって相手を攻撃する。

 とにかく他人に口出しするのが大好き。揚げ足取りも大好き。木を見て森を見ずを日々実践する愚か者

 自分意見が見当はずれの押し付けであっても「自分は問題をちゃんと認識していなかったか」などと反省することはない。

 はてブではよくあること。





(2)防衛的な態度にさらに圧力をかけて対応すること(パラノイア

 自己体験などに支えられた強い信念を持っており、

 自分の言ってることは絶対に正しいと思っており、正しいから受け入れられるのが当然だと思っている。

 そのため、とにかく相手を説得したくてたまらなくなり、いつのまにかケンカをはじめている。

 意見が正しくても受け入れられないケースなど山のようにあるということが分からない。人生経験不足。

 典型例はこれ。  http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472

 正直、5割の人に受け入れられれば御の字だと思うんだがなぁ。何割をねらってるんだろ。




(3)相手が問題を受け入れ、自分依存してくることを当然として振る舞うマッチョ

 自信満々に振る舞い、自分先生、相手を生徒であるかのうように一方的に指導を行う。

 目標や計画を打ち立てるところまでが関心の範囲であって、実際の泥作業は相手任せ。

 基本的に相手の現状や現実を無視して自分の解決策を押し付けるだけになるためうまくいかないことが多い。

 このタイプはてなでは少ない。唯一の例外がハックル先生だと思われる。

 ハックル先生は、言ってる内容については結構本質的で正しいと思っている。

 しかし、それを実行するプロセスに興味がないのか、実現する手段については

 まるまるすっとばしたり理想論みたいなことばかり言うのでふわふわした印象を受ける。

 多分彼の頭の中では既に理想小説は出来上がっている。問題は本人にその理想を実現する力量がないということ。

 他ならぬ自分自身が、自分理想を裏切るというのだから、生きていてしんどいのではないだろうか。





(4)同情心から不適切なレベルで支援と安心感を与えてしまう(シュガー

 相手を甘やかして骨抜きにし、自分依存させてしまう。

 承認充足を大量に放出するという、はてなにおいてははぐれメタルなみのレアモンスター

 あまりレアすぎて存在しないんじゃね?と言われる時期もあったが

 最近その存在が確認され、はてな民を狂喜させた。  http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20111020/p

 しかし実際は割りとビターテイストであることが判明し、事態は沈静化している  http://togetter.com/li/203298




(5)支援を求められても客観性にこだわり、感情的な距離を置きすぎる(傍観者

 はてな民で最も多いのはこのタイプだろうから説明不要だろう。

 はてブとは傍観者に生息スペースを与えるために用意された場といってもいい。

 いかにもありきたりの、常識に則った、感情のこもらない、テキトウなコメントで人をいらつかせる。

 ちきりんとかハックルさんみたいなおちゃらけキャラならともかく、結構真剣に書いてる記事に対しても空気読まずにおなじことをやらかす。

 支援学における「自分が影響されても構わない場合しか、他人に影響を与えられない」の原則によれば

 彼らのアドバイス意見は全くのムダであり無意味であり無価値であり、はてブ乞食のエサである

 多分リアルで友だちが少ないのであろうなぁと容易に推測される。




(6)相手をステレオタイプ化したり、自分経験から根拠のないレッテルを貼る

これは正直人間である以上避けがたいことであると思われるので何も言わない。

2011-10-18

お前の中で意味がないだけだろ。いい加減客観性という言葉を覚えろ。

2011-09-23

元とは言え国立大学教授が、科学客観性再現性を、満たしてるかどうかわからない事を、書いて良いのだろうか

科学的裏付けの説明の記述が無い。このブログは全部この人の主観の垂れ流しだ。 こんなすごい元物理数学専攻教授がいていいんだろうか? 

http://blogs.yahoo.co.jp/prohitskh/folder/351784.html  脳の仕組みと健康

http://blogs.yahoo.co.jp/prohitskh/folder/926427.html  頭の良くなる方法



脱ブームの落とし穴 (上ブログの人じゃなく、脳に関して科学的じゃない事を言って儲ける事への警鐘)

2011年2月19日放送 「ガリレオチャンネル」 脳を鍛える大人のDSトレーニングは脳活性の根拠なし?/ゲーム脳トンデモ?/脳内革命脳科学と無関係?/脳活性しないほうが脳には良い?

http://www.youtube.com/watch?v=K2SaSXxkH6E

http://www.youtube.com/watch?v=yqFD-ueVgSU




あんまりはっきり書いて名誉毀損で訴えられても困ると思ったが、科学的ではないのは事実だし、公益性もあるから、これくらいは言っても大丈夫だよね?


http://homepage2.nifty.com/prohits/ ここに物理数学が専門とある、神経網数学って聞いた事ないけどこんなのあったんだ。


http://anond.hatelabo.jp/20110922181255

2011-09-06

アダルトチルドレンは不治の病か?

一人のAC体験の先輩として、この問を否定する内容で記事を書く。

葛藤の真っ只中にいる人には、すぐには受け止められないと思うけど、何かしら伝わるものがあるといいな。



アダルトチルドレンは深刻な問題ではある。

特に完璧主義」はアダルトチルドレンに共通する特徴であり、これがACの回復を著しく困難にする。

他者からの評価を押しつけられ、自分感性を極端に否定され続けてきた人間は、自分の現状や目標自分で設定することに困難を覚える。

「求められていることをこなしている」間はすごく頑張るのだが、少しでもそこから遅れをとったり、間違いを指摘されると急に動けなくなってしまう。

あるいは、外面上は完璧にできていることを装うために、不都合なことを隠しがちで、いわゆるホウレンソウがしっかりできないとサれることがある。

これを、なにもしらないオッサンたちが「最近のこどもはひ弱だ」というが、根本的に間違っている。

また一般的に指示待ちとかアスペと言われる現象もACに起因することが多い。指示内容が不十分だったり曖昧だと、行動しなかったり戸惑ったりする。

自分からイニシアチブを設定することができないほか、権威のあるものに認めてもらわないと行動ができないのもACの特徴とされる。

(実際はそれだけじゃないんだが、ACの人たちは、すべての問題を自らのAC体験に還元してしまう傾向があるため、これを無視することはできない)




AC問題の恐ろしいところは、一度はまると加速度的に状態が悪化していくため、回復が不可能に思えてくるところだ。

AC人間は、上記のようにACでない人間にはまったく理解出来ない「ささいなこと」で躓き、そしてそのことをいちいち深刻に受け止めがちだ。

世間のACでない人間からは「ささいなこともできないやつだ」として無能扱いをされると、ただでさえ完璧主義なのに、ますます自己イメージが低下し、無力感に囚われて何もできなくなってしまうケースが多々ある。ひどい時には、動けなくなり、ACが関係ないすべてマイナス要素を自らのAC体験に還元することで自分を慰めるしかできないような人間になってしまうこともある。私も一時期この罠にはまりかけた。数年間何もやる気が起きず、ひきこもり続けていたりもした。

それでも何とかなった。その体験からACはあくまで認知の歪みであり、その気になれば抜け出せると思っている。






というのを前提にして、一昨日くらいに話題になった記事の感想

過渡期というか、正念場を過ぎて言葉を発することができるようになった状態だな、と思う。

確かにこの人の母親の歪みは事実だろう。そして、それによって書き手の人が傷ついたのも事実だろう。

でも、その事実いつまでも支配されなきゃいけないものなのだろうか。

この人は母親の歪みを過去ではなく現在進行形自分に悪影響を与えるものとして語っている。

表現の端々ではもう過去のことだとか、自立したとか言ってるけど、また囚われている感がある。

しかし困難を感じつつもなんとかその過去のつらい思い出を整理することで、今の自分との間に距離を設けようとしている。

過去が辛かったから今の自分がこうなんだ、とは言うまい、と前向きに考えようとしていると思う。

当然その途中の段階だから、余計なおせっかいを焼きたがる人もいれば、「それは正しくない」という人もいるようだが、

書き手の人はそのうち先の段階に進むという予感がある。

きっと、すごく、頑張ったんだなぁ、と自分の体験に合わせてしみじみと感動する。








問題は、彼女に便乗して「私がアダルトチルドレンになった体験を聞いてくれ」に始まり「今私がダメなのも親のせいだ」って擦り寄っている人たちだ。

勝手ながら、私はここに宣言します。

yuhka-uno さん、thor さん、私はあなたの味方です。私はあなたの仲間です

あなたがた二人が何を思おうと、なにを言おうと、なにをしようと、

ほかに世界のどんな人たちや思想や宗教や、あなたがた自身があなたを否定しようと

私は全力であなたがたを肯定します。

全力であなたがたを守ります

それは、他でもない私がそうされたかたかです

まりほとんど自己満足です

また、私の頭できるだけ客観的に考えても(純粋な客観なんてそもそも存在しませんが)

この世で少なくとも誰かひとりが、

あなたがたに対してそうすべきだと思ったかです

これはつまり、義憤です


(中略)

同じく私は宣言します。

ここでyuhka-uno さんに対して、

批判的なことや否定的なことを書いてらっしゃる方々。

あるいは書かずとも、心に批判的なことや否定的な気持ちをお持ちの方。

あなたがたは私の敵です

あなたがたがどんな常識や、論理や、手段や、量的な優位性をもって

yuhka-uno さんを批判したり否定したり、

あるいは社会的抹殺しようとしたとしても、

私はあなたがたに反論します。魂と矜持をかけて反論します。

反論するし、私の心の中には、

あなたがたに反論し続け、反論し切るだけの想いや、

できる限りの客観性吟味し続けた証拠があります

ネット上にはそれを証明しうる、まごうかたなきログがあります

それが私という人間存在意義であり、人生上の仕事であると思っています



あなたの言っていることは多数派の社会常識に沿っていて、そういう意味では正しい。

だけど、間違った育てられかたをした人は間違っていて当然であり、それを矯正するために「親は間違っていた」と言って自分の歪みを直そうとしているところに首を突っ込んで何が得られると言うのでしょうか。

歪みをただそうとしている手段を封じて、甘えずに直せとは、言っていることが矛盾しています

黒さんが見ている世界は、頑張ればできる人間しか生き残れない、恵まれた世界です

自分が駄目だと思い込んでいる人間は、生まれてから何十年もずっと自分は駄目だと思い続けてきたような人間ばかりです

少ない努力で報われた経験を積み重ねた人は、自分が正しいと思い、成功経験を積み重ねていきます

どれだけ努力しても報われない人は、自分が何をやっても間違えると思い、罪悪感を積み重ねていきます

そして、少ない努力で報われる才能溢れた人たちは、自分努力がこんなに大きな成果を上げたか自分は正しい、

同じだけの成果が出せないのは自分より努力が少ないからだと言って他人を説教したがります

それは傲慢です

本当に不幸な目に遭って苦しみ抜いた人ほど、どれだけ努力しても報われない人がいることを体験から受け入れており、できない人に甘えだ怠け者だと言って追い詰めたりしません。

あなたの「甘えないでください」ほど無責任暴力はない。

できない人はできない。それが本当の厳しい現実です

なんというか、いじめられっ子が、他にも孤立した人を見つけると擦り寄って集団をつくろうとするのに似ている。



その人が仲間を求めているかなんて分からないのに、自分いじめから救われたいばかりに「私はあなたの気持ちがわかります」といって勝手に仲間ヅラをしているようなそんな感じ。

そんな「ぬるい連帯」をyuhka-unoさんが本当に求めているだろうか?

私は本文を読んで全くそうは感じなかったが、彼女たちは切羽詰まってるからそんなこと考えたこともあるまい。

断言するが、彼女たちの求めてるものと、yuhka-unoさんが求めているものは違う。ぜんぜん違う。

実際に、彼女らの過剰な摺り寄りに対してyuhka-unoさんが、慎重に切り分けを行っているのだが、

そこを読もうとせずに、人の庭でぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるのは醜い行為ではないだろうか。

過去が気の毒であったことはわかるが、それを盾にして現在自分正当化し、しかもその恨みを世界にばらまかずにはおれない苦しみ。

対等に話ができる状況で、自分たちを意図的に低い位置におき、相手に譲歩をねだるその卑屈さ。

同じAC体験者として気持は痛いほど良くわかるけれども、それは決して私たちが「一般人」と呼ぶ人には伝わらないのだ。

そうやってコミュニケーションを取ろうとすれば、こじれることはあっても何かが良くなることなど絶対にありえない。




この人達は、自分が何を望んでいるのか全くわかっていない。

ただ自分が嫌なことをされたから、それを返そうという機械的な反応をしているに過ぎない。極めて非人間的だ。

自分たちが醜くて卑しい存在であるということを承認してもらいたいのだろうか?

「醜くて卑しいけどそれは親のかけた呪いのせいだ」というのを他人に認めさせれば何か状況が良くなるのだろうか?

「毒になる親」とか「良心を持たない人たち」を読み返し、AC仲間で共有しあって、自分たちを哀れんで、それで自分世界が少しでも救われるのか?

いや、哀れんでもいい。「自分たちが悪かったのではなかった」という確認はとても大事だ。

でも、なんでそこで立ち止まっちゃうわけ?なんでそこから先に進もうとしないの?

甘えるなとか言いたいわけじゃないけれど、純粋に疑問だ。そこで立ち止まってて幸せなのかい

幸せならそれでもいいけど、前を向いて進もうとしているyuhka-unoさんを、自分の惨めな人生に引っ張り込もうとするのはやめたほうがいい。




以下は「氷の海のガレオン」より引用

「なんか嫌なものねぇ。」と多惠子さんが言った。「胃が痛くなってしまう」

「やっぱり?」とわたし。「後味悪いよね。まるであたしがいじめたみたい。」

「私はできるだけ、あの子にも気を配ったつもりだったんだけれど。」

「あたしだってずいぶん我慢したわよ。」

「お互い不幸になってしまう。」

「もっとひどい不幸から逃れるために、あたしを引っ張ったのよ。二人で一緒に耐えましょうってなもんでさ。」

「でも、つっぱねなかったんでしょ。」

「めんどうくさくてね。」

「わかる・どっちにしても、自分じゃないような。」

「そうそう。」

「かかわること自体、間違いであるような。」

「そうそう。」

「どうしてあげればいいのか、わからないわ。」

「わからない。でも、あたしが彼女の望む通りになって一緒にかばいあったとしても、彼女は本当には幸せにはなれない。それはわかる。」

過去自分を支配させるな。あなたたちの語る言葉には過去しかない。現在未来もない。それじゃあもったいない

どれだけAC同士で傷の舐め合いをしても、傷が癒されることは絶対にない。

西洋菓子骨董店」とか読め。過去を修正したり、傷を治そうとするんじゃなくて、

うそれはどうしようもないものとして受け入れて今の自分と向き合ったときに、初めて前にすすめるんだ。




ちなみに先ほどの引用には続きがある。

「今は誰も、そこまでの幸せを望んではいないのかも。」

「わからいね。どっちがしあわせだか。」

「正しいのは、実はあの子かもしれない。」

「本当にそう思う。みんな他愛ない話してるじゃない。平和でいいな、と思うことある。」

「みんな決して悪い子たちじゃない。楽しそうにしてるよ。もしかしてそれがしあわせってやつかもしれないって。

 だけど」

詰まってしまった。多恵子さんも沈んでいた。

その後の気持ちは、今の万倍の勇気を出してさらけ出さないと、言葉にできそうもなかった。

今の自分は、まだそこまでの成長を、幸か不幸か、していないのだということを思い知った。

yuhka-unoさんはこのことを自覚して、勇気を出して先に進もうともがいている。

引用した二人は中途半端な状態でそこそこ満足して立ち止まっている。

二人の将来は交わらないところにある。 そのことを自覚したほうがいい。




アダルトチルドレン問題は深刻ではあるがあくまでもそれは傷痕であり認知の病だ。

それによって人生が決定してしまうわけではない。

それに屈するのも、それを克服して先に進むのもあなたたち次第ですあなたたちの責任です

アダルトチルドレン問題を中途半端に知って、自己正当化することを覚え、そこで成長を止めてしまった人間は、

そういう人同士で傷を舐めあって生きていればいい。いつまでも後ろを向いて嘆いていればいい。

しかし、その地点にとどまらないで、成長しようとする人の足をひっぱるのだけはやめてあげてください。

そして、願わくばあなたたちも、今の地点で十分休んだら、立ち上がって前を向いて歩いてください。




大事なのは、肯定するのではなく、過去をひとまずそういうものとして受け止め、そこから未来を考えること。コレしかない。涙が出るほど悔しいけど。

2011-09-04

yuhka-unoさんの文章に見る自己矛盾

http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472

まず全体の内容についての感想

タイトルが結論があるかのようにミスリードしているが、書き手本人自身が未決着の感情について(本人がコメント欄でそう書いている)書かれたものである

今はこう思ってるけど将来どうなるかわからん、程度の話なんだと思って読めばどうってことはない。



ただこの人の文章の書き方は少し気になる。

例えば「困った母親」、「親切な方々」などいろんなレッテルを張って、自分側とそうでない側を誇張的に二分していること。

特にこの人の母親に対する描写は、相手を理解しようという姿勢意図的に排除されている。

まさか分からない人はいないと思うけれど、書き手が言ってる「母親の気持ち」は

あくまで書き手が自分経験から推測というか決めつけを行っているものである

実際の気持ちがどうであったかはこの文章からは判断することができないのだ。

から、「この人はちゃんと母親の気持ちを考えている」とは言えない。

この人は終始自分の側から観た自分のことを語っているだけにすぎない。

この人が語る母親像は、この人にとっての真実にすぎない。




書き手の人が決めた設定を強調するものに限られている。

構造」や「レッテル」を重視して、相手の内面をあまり重視していないように思える。

おそらく説明のための具体例を挙げるという趣旨の為だろうが、この記事だけ読むと、書き手の人にかなり冷たい印象を持つと思う。

まり、これによって母親自分の気持ちを理解してくれなかったと書いている割に、

この書き手も、自分から一方的に分析をしている(というか、自分の正しいと思うことに従って物事を整理している)だけで、

母親の気持ちを理解しようとしていないではないか、という指摘ができそうに思えてくる。





もちろん私はこの記事だけ読んでこの書き手の方が、他人の気持ちを思いやれない人だと決め付けるつもりはない。

ただ、この文章の中だけで、コメント欄のような「あなたは、あなたが求めるように母親の気持ちを考えてるんですか?」という反応が出るのは

極めて自然なことであると思う。

そのあたりを全く自覚しないで「しんせつな方」などといやみを言う辺り、

書き手の人とその母親は、相手の意見聞く耳を持たないという意味で似たもの同士であると「この文章からは」感じた。





色々書いたけど私が言いたいことは以下の引用

きわめて単純なルールがある。作文の内容は真実でなくてはならない、というルールだ。ぼくらが記述するのは、あるがままの事物、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したこと、でなければならない。

たとえば、「おばあちゃんは魔女に似ている」と書くことは禁じられている。しかし、「人々はおばあちゃんを<魔女>と呼ぶ」と書くことは許されている。

「<小さい町>は美しい」と書くことは禁じられている。なぜなら、<小さい町>は、ぼくらの目には美しく映り、それでいて他の誰かの目には醜く映るのかもしれないから。同じように、もしぼくらが「従卒は親切だ」と書けば、それは一個の真実ではない。というのは、もしかすると従卒に、ぼくらの知らない意地悪な面があるのかもしれないからだ。だから、ぼくらは単に、「従卒はぼくらに毛布をくれる」と書く。

ぼくらは、「ぼくらはクルミの実をたくさん食べる」とは書くだろうが、「ぼくらはクルミの実が好きだ」とは書くまい。「好き」という語は精確さと客観性に欠けていて、確かな語ではないからだ。「クルミの実が好きだ」という場合と、「おかあさんが好きだ」という場合では、好きの意味が異なる。前者の句では、口の中に広がる美味しさを、「好き」と言っているのに対し、後者の句では、「好き」は一つの感情を指している。

感情定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間自分自身の描写、つまり事物の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

本人の良し悪しは分からない。でも文章には問題がある。そこのところは多少自覚してもらいたい。

2011-08-01

最近はてブコピペブログに対して

アマゾン アクセストレード 楽天 アドセンス 2ch

みたいなタグをつけてるプライベートモードボットか何かがいるけど

あれ個人的には効果的。

あのタグがついてるページはよほど見たいものではない限りクリックしなくなった。


はてなモンスター : http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20111022102740

アドバイスをする側が陥りがちな5つの
(1)時期尚早に知恵を与えること(早漏

 読んだ記事に対して表面的な言葉だけで「真の問題」を理解したと思い込み、役に立たないコメントを書くタイプ

 相手がそれを受け入れないと「だってお前こう書いてるじゃないか」と部分的な切り抜きをもって相手を攻撃する。

 とにかく他人に口出しするのが大好き。

 自分意見が見当はずれの押し付けであっても「自分は問題をちゃんと認識していなかったか」などと反省することはない。

 はてブではよくあること。

(2)防衛的な態度にさらに圧力をかけて対応すること(パラノイア

 自己体験などに支えられた強い信念を持っており、

 自分の言ってることは絶対に正しいと思っており、正しいから受け入れられるのが当然だと思っている。

 そのため、とにかく相手を説得したくてたまらなくなり、いつのまにかケンカをはじめている。

 意見が正しくても受け入れられないケースなど山のようにあるということが分からない。人生経験不足。

 典型例はこれ。  http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472

 正直、5割の人に受け入れられれば御の字だと思うんだがなぁ。何割をねらってるんだろ。

(3)相手が問題を受け入れ、自分依存してくることを当然として振る舞うマッチョ

 自信満々に振る舞い、自分先生、相手を生徒であるかのうように一方的に指導を行う。

 目標や計画を打ち立てるところまでが関心の範囲であって、実際の泥作業は相手任せ。

 基本的に相手の現状や現実を無視して自分の解決策を押し付けるだけになるためうまくいかないことが多い。

 このタイプはてなでは少ない。唯一の例外がハックル先生だと思われる。

 ハックル先生は、言ってる内容については結構本質的で正しいと思っている。

 しかし、それを実行するプロセスに興味がないのか、実現する手段については

 まるまるすっとばしたり理想論みたいなことばかり言うのでふわふわした印象を受ける。

 多分彼の頭の中では既に理想小説は出来上がっている。問題は本人にその理想を実現する力量がないということ。

 他ならぬ自分自身が、自分理想を裏切るというのだから、生きていてしんどいのではないだろうか。

(4)同情心から不適切なレベルで支援と安心感を与えてしまう(シュガー

 相手を甘やかして骨抜きにし、自分依存させてしまう。

 承認欲求を大量に放出するという、はてなにおいてははぐれメタルなみのレアモンスター

 あまりレアすぎて存在しないんじゃね?と言われる時期もあったが

 最近その存在が確認され、はてな民を狂喜させた。  http://d.hatena.ne.jp/orangestar/20111020/p

 しかし実際は割りとビターテイストであることが判明し、事態は沈静化している  http://togetter.com/li/203298

(5)支援を求められても客観性にこだわり、感情的な距離を置きすぎる(傍観者

 はてな民で最も多いのはこのタイプだろうから説明不要だろう。

 支援学における「自分が影響されても構わない場合しか、他人に影響を与えられない」の原則によれば

 彼らのアドバイス意見は全くのムダであり無意味であり無価値であり、はてブ乞食のエサである

2011-07-21

http://anond.hatelabo.jp/20110721130851

この科学史家の発言って、なにか客観性欠いてる?

「(社会的に)失敗が許されない」事柄において科学はしばしば「やらかす」、っていう事実に言及しているだけに見えるけど

あ、検索はしてません

2011-07-20

前田敦子情熱大陸を見た

なんか2chまとめブログとかですげー叩かれてたからどんなもんなのかなと思ってYoutubeで見てみたら意外と好感を持ってしまった。ものすごい冷静というか、全くトップアイドルと言う立場に舞い上がってないというか、そういう意味では客観性があってまともだ。けど、AKBはブームが去ったらみんなに忘れ去られるんだ、心にずっと残るような価値というのはないんだ、というある意味ではAKBファンよりAKBアンチに近い見方をしていて、しかもそれをそのまま言ってしまうというクソ正直さというのは、なんだろう、アイドル偶像と対極にある姿勢だと思う。ファンの方が怒るんじゃないだろうか。大島優子も、前田ストイックだ、みたいなこといっていて、アイドルストイックっていうのも対極だよな…と思う。いや、アイドルをやるにはある種ストイックでなければならないんだろうけど、そういうんじゃなくて非社交的な感じのストイックさだ。アンチアイドルという感じだ。

でも、だからこそ、前田敦子センターである意味というのが見出せた。

今の素人テレビ慣れしていると言う。街頭インタビューでも、よどみなく、それっぽいことを喋れるという。プロアマの垣根が小さくなってきた。

そういう時代にあって、素人よりもテレビ慣れしていない…わけでもないんだろうけど、不器用な振る舞いを見せる前田というアイドルには価値がある。等身大で。身近な。会いにいけるアイドル。まさにそれだ。AKBのコンセプトを最も体現しているのが前田というわけだ(もちろんAKBという器なくしては芸能界で生きていけないだろうけど、その時はカンボジアかいって国際貢献をするのが本人にとって一番幸せセカンドライフかもしれないよ、なんて超おせっかいな提案)。

2011-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20110718220502

オタクの何が嫌ってほんとこういうところだよね。


オタクってみんなこうなのかな。思いやりも空気を読む気も全くない人ばかりなのかな。


マニアじゃなく「オタク」と呼ばれるだけあるよね。

自分の好きな事以外は全然見えてない。客観性がない。

はやく分かれた方がいいよ。


でも多分彼は

ロリコン馬鹿にした!」

しか受け止められないだろうけどね。

2011-06-27

外見に惹かれて人を好きになった事がない

○○かっこいい(かわいい)→付き合いたい→まず仲良くなってアタックアタック!!

みたいな流れの恋愛が理解できない。

自分場合

知り合う→気が合う→当然仲良しになる→好きになる

っていう流れ。

こっちが気が合うと思ってる相手はだいたいこっちのこともそう思ってるので、昔から好きになった人と付き合えなかった事がない。

(付き合える人しか好きにならないとも言えるけど。)



さらに、自分もびっくりするぐらい外見へのこだわりがない。(というか恋愛過程で崩れる)

毛深い人、目がクリクリしすぎてる人、色黒な人、自分より華奢な人、ぽっちゃりな人…などなど

外見的NGリストが以前はあったのだが、「一緒にいて楽しい」という快楽を前にするとそんなの余裕でふっとんじゃうんだよね。

しかも好きになると嫌いだった身体的特徴がかわいく見えてくるから不思議。。



ただし、キモメンというか、カスタムがきもくて結果キモメン化みたいな人は好きになった事がない。

カスタムキモメンの何が嫌って、外見が嫌なんじゃなくてその客観性(≒社会性)のなさが気持ち悪い。

異様に太っているとか、化粧が下手なのに濃い(というか変)とか、清潔感がない・・・とかって、目が小さいとか鼻が低いとかよりよっぽど気味が悪い。

はなからキモメン無理!と拒絶してるわけじゃないのだが、自制心のなさ、美意識の低さ、客観性のなさ、他人への配慮のなさが見て取れる外見の人とは、知り合っても仲良くなって気が合うってことがないので、結果恋愛するに至らない。

自分では上記のこだわり(?)は「外見」への基準ではなく、「外見に現れる内面」に対する基準だと思っている。

2011-06-16

2chを見ると、大抵の板で

「その分野に多大なる興味関心があり掛ける金も労力も並々ならぬものがある人間(要するにオタク)がスレに巣食っていて

その分野の『ベストセラーになったけどオタク受けはしないもの』を袋叩きにし、オタク受けしないものを高く評価する人は皆工作員認定、

たまスレに現れる初心者っぽい人を馬鹿にしながら叩いて追い出す」

と言う光景が見られる。



何故こうオタクと言うのはどこでも必死なんだろう。

大多数の人は自分ほどそれに興味がないし金も労力も掛ける気がない、と言う当たり前の事実に気付かないのか、

知っていて「自分と同じくらいに興味を持ち金や労力を掛けるのが当然である。そうではない人間は間違っている」と思っているのか。

漫画アニメゲームと言った分かり易ーい「オタク」分野以外でも同じだ。

元々視野が狭いから、一つの事に異常なまでに没頭してしま客観性が無くなるのか。

2011-06-09

だって片思いされることを怖がるべきだと思うんだ。

そのような女の子たちに僕が思った感情は、「ごめんなさい」だった。本当に。嘲笑とかまったくない。バカにしてもいない。キモイとも思わなかった

http://anond.hatelabo.jp/20110609180346

 

「ごめんなさい系の異性」から告白されて、別にイヤじゃないという人の割合は明らかに女より男のほうが多いと思う。

どんな人からであっても好いてもらえるのは嬉しいという「いい人」か、

告られることによるデメリットが見当たらないか別にイヤじゃないという「冷静派」とか、

あるいはありえねーブスに告られたことを面白ネタにできるからしいなんていう「性悪」も居るだろう。

それらは結局、相手より自分のほうが腕力が強くて、好きでもない相手に無理やり手篭めにされるリスクを感じないからこその余裕なんだと思う。

友人が数年前趣味で軽くV系~J-ROCKコピバンをやっていて、熱烈な女性ファンの追っかけにあうようになった。

尾行されたのか自宅も特定され、深夜に帰宅したら玄関前にその女が体育座りして待っていたことがあった。

結局彼は引越して、バンド活動もやめてしまった。それから女性からの好意が少し怖いのだという。

から男への好意だって、本当は怖いものなのだと思う。

素手で戦うのなら男が強いかもしれないけど、女が本当に狂っていて刃物とか持ち出されたら殺される。

「好かれて悪いことなんてひとつもないし」というのは、好いてくる相手が常識であること前提の考えだ。

常識人というのは恋愛においても一定の客観性を身に着けている。

身分が違いすぎる告白をするときには、ダメであることを念頭に置きながら告白するだろうし、

たいていはあまり身分差の相手を好きになり、告白前にメールしたりデートしたりして相手と仲良くなって、

相手の様子や態度を見て、成功確率が高いことを確信してから告白するものだと思う。

身分差がある相手との距離感が掴めず、突発的に好意を持ち、突発的な行動に出る人は恐ろしい

行動のモチベーションが好意だったとしても、本当に恐ろしい客観性を完全に失った好意は凶器にもなる。

そういった非常識な好意への防衛本能が「キモイ」なのだと思う。

女性にはこういった「キモイ」の感覚が十分すぎるほど備わっているけど、男性は少し楽観が過ぎるんじゃないか

だって非常識人間なら何をするかわからない。

自分と比べて恋愛資本を圧倒的に持たない相手からの好意は、男女ともに警戒すべきだと思う。

 

こんなような僕の感情の動きの中に、彼女を愛してるって気持ちはどれだけあるんだろう。自分でもときに自問する。いや愛してると思うんだけど。結局、相変わらず釣り合ってるかどうかが一番優先されているのかも?そうなのかも。

私も彼氏との関係のなかでこのようなことを自問自答する。

彼氏と比べて私は釣り合っていない彼女なので、あまり並んで外を歩きたくないし、付き合っていることを正直なところ公言したくない。

そういう私の言動を、彼は「恋人として軽んじられている」と感じるらしい。逆なのだけど、なかなか疎通できなくて苦しんでいる。

彼のために、自分の思う「見苦しい真似」、たとえば不釣合いにかっこいい彼氏を自慢するとか、人前でイチャイチャするとか、

釣り合いの意識を捨てて居直って振舞うとか、そういったことができるかと言われたら出来ないと思う。

それを「彼への愛より自意識を優先している」といわれたら、その通りだと思う。

 

海外に行って釣り合いの感覚から解放されたとして、待っているのは小中で出会った勘違い組への仲間入りなのか。

それは怖い。自分がそうなることで感覚的に幸せだったとしてもいやだ。

ボケ老人が幸せそうにしているのを見ても、自分ボケ老人になるのは絶対嫌だと思うような、そういう感じ。

2011-06-07

http://anond.hatelabo.jp/20110607190649

苦難は神様からの試練っていうけど、

それを乗り越えるための教育がまともにされてないもんな。

自己評価を繰り返して客観性を身につける作業と

少しずつ苦しみや苦労を受け入れて自分を鍛える訓練をさせないと

まともにはならないよ。

そして、何より大事なのは子供時代にきちんと甘えて、親から愛情を注がれていることです

2011-06-06

10年引きずっている「恋愛キモイ」の感覚

小学校高学年の思春期入りかけのとき、私は何にも目覚めていなかった。

ただ周りの浮き足立ったような雰囲気に身をおいておくのが楽しくて、恋バナには積極的に参加していた。

そこで味わったショック。

クラス一のブス女子運動勉強もできないし、小太りなのにカマキリみたいな顔してた)が、

クラス一のモテ男子(話はつまらないけどイケメンで足が速い)のことを好きだと臆面も無く言い、バレンタインチョコをあげたんだ。

その女子、何もできないのに猛烈に勘違いした子だったんだよね。今思えば自己愛性人格障害かなにか何じゃないかと思うほど。

それ見て私は「キモ!」と思ってしまった。釣りあうわけないじゃん!

恋愛感情って、ここまで客観性を失わせるものなの?とゾッとすらした

実際はその子がちょっとおかしかっただけなんだけどね。

それからしばらくして中2。女子だけでしていた小学生の頃と違って、男女混じって恋バナをしていた。

そこでリア充男子が、運動勉強もできないチビガリブサ男子好きな人が、

クラスで2番か3番目に可愛い運動勉強もできるクラス委員の女子だということを暴露したんだ。

で、暴露されたチビガリブサ男子は、照れてモジモジしたりニヤニヤしたりしてた。消極的な肯定…

いやキモ釣りあわないから!一瞬で小学生ときのブス女子勘違いっぷりを思い出してゾッとした

しかも、それから数ヶ月してクラス委員女子サッカー部男子と付き合うようになったとき

そのチビガリブサ男子、4日休んだんだよね。

えー!!ショック受けてんの!?まさか付き合えるとでも思ってたの!!!???

暴露したリア充男子は、チビガリブサ男子のショック休暇を本気で笑ってました。心の底から嘲笑してました

私は笑うどころじゃなく恐れおののいてました勘違いブサの恋愛感情って怖い、恋愛感情を持つことは美男美女にしか許されないものだ。

高校以降は、一応進学校に行ったからか、それとも皆成長したからか、勘違いした人には遭遇してない。

でも未だに「基本的に恋愛は美男美女の特権」「キモイ人の恋愛感情劇物」感がぬぐえないんだ。

告られて付き合うことになって、だんだん相手を好きになってきても、ふとした瞬間に「私キモ!」ってゾッとして急ブレーキがかかってしまう。

カマキリ女子チビガリブサ男子は今も恋愛してんのかな。

「私キモ!」「俺キモ!」みたいにならずに、順調に突っ走ってるのかな。

相変わらずどう見ても釣りあわない大人気の美形に片思いしてんのかな。

正直に言うと私はものすごく彼らのことを見下してる。恋愛が楽しめないのはその根性の悪さに対する罰なのかもしれないとも思う。

いつまで引きずるんだろう。

2011-04-18

ボランティアなんぞに顔を出した反省

震災ボランティアに顔を出したが、あまりにも仕事の出来ない人だらけで驚いた。

私はその作業内容のプロで、ボランティアリーダーとの共通の知人の紹介で顔を出しただが、どう考えても異常に効率が悪い。

リーダーに直言するが、まったく話を聞かない。

そして、直言したことが気に入らなかったようで、一人で出来る仕事の方がいいでしょうと、ゴミの整理というありがたい仕事を割り当てられた。(まあ、ゴミの整理も大事な仕事ではありますが)

結果、その団体は我々プロが一時間で出来る作業を一日かけて行い、その成果を大々的にブログに誇っていた。

 

ボランティアほとんどは、普段まともな仕事したことがないだろう、「使えない」人間で占められている。

そこまでは、まあしょうがないだろうと思う。ボランティアの主力は、バイトのない暇な学生や、普段から仕事が与えられないような公務員だ。

挨拶もまともにできる様子もなく、ホウ・レン・ソウとか聞いたこともないだろう。言われたとおり、ゆっくりと手を動かすことしかできない。

しかし、そんな彼らでも、単純作業を適切な教育の上で与えられれば、それなりに機能する。

重要なのはまともに働いたことのある使える人間であり、その人間リーダーになることだが、どうやらそれが不足しているようだ。

 

ボランティア作業の大半は単純作業だと思うが、単純作業ほどノウハウ改善点の共有が必要なのは言うまでもない。

しかし、ノウハウ存在しない。ボランティア同士にコミュニケーションはない。意見を吸い上げるリーダーもいない。

そして非効率な作業が続く。

 

一日ゴミ整理をした上で、共通の知人を交えて、作業内容の改善点、ロジの整理を申し入れたが、やはり話を聞く気はない。

理由は分からないが、人の話を聞き、作業を改善することが、彼の権威を脅かすものになるようだ。そして、大事なのは結果はなく行動なのだと言われると、返す言葉もない。

まあ、こういう輩は会社にも良くいるけど、利益を上げることが出来ず、なかなか上に行くことがない。しかし、ボランティアは別なのだろう。

 

その後、共通の友人には詫び、そのボランティア団体からは離れた。

私はどう行動すべきだったのだろう。

リーダーの面子を潰さないでうまくやれれば良かったんだろうが、その方法は今も思いつかない。

 

 

【追記 4/19 1:44】

作業内容を詳しく書くと特定されるので難しいですが、「効率化」は結構簡単なことです

例えば、水を汲んで運ぶという仕事があるとします。

バケツ一つ運ぶなら作業内容はみんな一緒ですが、たくさん運ぶなら、バケツリレーだったり、ホースを探してくるとか、いろんな方法があります

それを、バケツを用意する手間がかかる(すぐそこの100円ショップで買ってくりゃいい)、一人一人大事に運ぶことに意味がある(どう運ぼうが水は水だと思う)、バケツリレーは訓練が必要(いやいや、すぐ覚えるよ)と反論され、バケツ一つに沢山の人間が張り付いているような状態になっている感じです

私がこの業種のプロであることはリーダーは知ってるはずですが、現場では面子を立てて特に言いませんでしたし、この効率化は特にプロでなくとも、作業を続けていれば気付くレベルのものです。また、リーダーにだけそのやり方を説明したのは、彼がみんなに広めればいいだろうという、それもまた彼の面子を考えてのものでした

 

 

【追記 4/19 16:30】

たくさんブクマもらってて驚いております。どうもすみません

ただ、「効率化」がモチベーションを下げるとはあまり思えないんですよ。

これは私の性分のような気もしますが、たとえば風呂の水を汲むのに、バケツ一個でちまちま水汲むより、パーッと集中してみんなでバケツリレーしたほうが楽しくないですかね。たぶん、バケツリレーのほうが疲れないし

その水が自分のためじゃないことがモチベーションにつながらないのかもしれませんが、誰かがそれで早くお風呂は入れるのならうれしいけどな。

しかしまあ、みんながそうは思わないということはよくわかりました。いやみではなく。

  

また、ボランティア全体が使えないととられたなら、私のいたらないところです。申し訳ない。id:awwwwaさんのように、きっとすばらしいボランティアの方もいらっしゃると思うし、でないといろいろ回ってないと思います。id:awwwwaさん、お疲れ様でした

また、「ボランティアなんぞ」「使えない」という言葉がきつかったですね。反省します。

 

ちなみにリーダーは声もでかかったですが、社会的地位も高かったので、それもあったのかなと思います。なお、その地位はボランティア仕事内容とはまったく無関係です

しかしまあ、どうやって彼に話しをもっていけばよかったのか。そこは本当に反省する限りです

 

 

【追記 4/19 19:10

当たり前のことですが、これは私から見た側面しか書いていません。

リーダーにはリーダーの言い分があるでしょう。

出来る限り客観性は持とうと思いますが、限界は当然ありますので、御理解ください。

2011-03-23

東大病院放射線治療チームと崎山比早子、どっちを信じたらいいのか\(^O^)/

東大病院放射線治療チーム】

日常的に360,000,000,000,000,000,000個の ”放射性”カリウムが、体内に存在しています。

現在福島市の水を毎日2リットル飲み続けると、720Bq(ベクレル)の内部被ばくを受けることになります

これは、先ほどのカリウムによる日常的な内部被ばく(6,000Bq [ベクレル])の8分の1以下です

http://togetter.com/li/113523

【崎山比早子氏(元放射線医学総合研究所主任研究官、医学博士)】

「ただちに健康に与える数値でないとおっしゃる、急性障害をおこさない、そういうことを基準値にしてる。

低線量の場合すぐには出ませんよそんなこと誰でもしってる」

「数年後癌になるってことはわかりきってる、

それをただちに影響はないということは大変なこと。

飲料水に入ったことは大変なこと。水は誰でも飲むし。

1年何年続くかわからない汚染の飲む、どういうことですか、信じられないですね」

http://blog.livedoor.jp/mikiki_boss/archives/51725783.html

741 :Nanashi_et_al.:2011/03/20(日) 11:03:04.53

>>740

東大を信じてよい。

> 「数年後癌になるってことはわかりきってる

客観性のない非科学表現

こいつの書きぶりだと100%ガンになるようにしか読めないけど、当然そんなデータどこにもない。

何%がガンになるか、調査可能なほど増えるわけじゃない。

こいつは「人間がガンになる可能性があるのはわかりきってる」

というのと同レベル危険をことさらに強調して注目を集めようとしてるだけ。

746 :Nanashi_et_al.:2011/03/20(日) 13:42:48.60

>>740

東大チームでいいで

もの凄い勢いで誰かが質問に答えるスレ@理系板@49(http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/rikei/1295156918/)

2011-03-16

強姦の多発を否定するのって痴漢冤罪証明に似ている気がした

公式の統計的には強姦認知件数は増えていないのだから多発を主張するならそれ相当の根拠が必要なはずなのに

強姦が多発した、ってのが定説になっているせいで否定側が根拠を出さなければならない

肯定側の根拠は不確かな伝聞やら常識による推論やらで客観性がないけれども

からこそ、それを否定しようとしても客観的でないとしか否定しようがない

客観的な統計です災害時には認知率は減るはず、っていう常識によって否定されるけれども

その常識帰納する対象がない主観しかないはずなのに肯定が定説になっているせいでさも正当な根拠に思えてくる

偽善と善

最近偽善者賛美にはついていけないところがある。

しない善よりする偽善だって?それは前提が違うんじゃないの。

偽善より善が良いのはわかりきっている。

しない善など善では無いわけで、する善がする偽善より良いのはわかりきっているわけだ。

けれど、この複雑な社会で一意的に善であることはほぼ不可能から

(多面的な権益が絡み合い価値観は多様化されているため、

つの行為が確実に正しいという社会的客観性を持てず、

善であろうとすれば、それはほとんど信仰などに近い信念的行為でしかあり得ない)

少しでも善いことをしたいと思う人は、

たとえ偽善だとつっこまれたとしても、善をしようと思ったし、それをアナウンスした

一昔前は自分が善であると信じることができた、というのがすでにおとぎ話のようだけれど、

いずれにせよ、そんないじましい素敵な言葉として偽善は広まった。

じゃあ、それでいいじゃん、と書きながらぼくも思ったけれど、また立ち止まる。

そこには二つ欺瞞が含まれている。

一つ目、偽善って他人がいて初めて使える言葉であること。

まともな人は大抵一人で寄付とかしている。アナウンスもしない。

なぜか?

善はさっきも言ったけれど、価値観が多様化した現在では、正しさを含まない信念的行為に近い。

あとで十分な時間を過ぎてあれは善だったかもな、くらいのものだ。

(けれど、それこそが人生にとってとても大事でとても必要なことなんじゃないの)

で、偽善が成立するためには、それ偽だよ、って指摘してもらわないといけない。

それって必要なわけっすか?まじで?誰かを助けるために?自分を助けるために?

さみしさを包み隠さずに共有するってのが、本当にまともな大人のすることだと思うなら、それは悲しくないか

こんな反論が当然予想される。他人に偽善を進めるためにこの言葉が必要なんだと。

見る前に跳べ、ってわけだ。世の中の真理の一つかもしれない。

けれど、やっぱり見てから跳んだほうが、何かとうまくいくんでないの?

あるいは、見る前に跳んだ結果少女がむざむざと殺されてしま世界なら、

そんな世界は無くなってしまえば良いというあのハードな思いに、君は反論できるのだろうか?


二つ目偽善でいいじゃん、って言葉には思考停止が含まれているよね?

であることがほぼ不可能でありながら、

それでも少しでも善であろうという努力価値を放棄しているよね?

世界的にお金持ちのぼくらはその収入の3%くらいを寄付するよりも、

一生懸命考えて、どうしたら、本当に正しいかと考え続けるほうがしんどいってわかってるんじゃないの?

あるいは、寄付もしない悪人、と言われる負担を背負うのはたまったもんじゃない、てのを認められないんじゃないの?

結局、妥協としての偽善でいいじゃん、ってことなんじゃないの?

もうめんどうくせえや、偽善でいいじゃん。君も偽善だしさ、おれたち仲間じゃん、ってさ。

ねえ、もし、面倒くさいか偽善者でいいや、って言うんなら、社会の罠にピンポイントはまってる無能、ってことだぜ。

団塊とかの時のさ、資本主義打倒って叫ぶだけ叫んでさ、責任を取らず今の社会を作ったおっさんみたいなもんだ。

2011-03-10

人生をつまらない物にする4つの思考でつまらなくならないための思考

http://anond.hatelabo.jp/20110308212302

4つの思考のうち、2つの思考歴20年の俺が答えるよ。

エントリーは「よくない」ばっかりで、「悩んでる人はそんなこととっくにしってるよ!それができないから悩んでるんじゃないかお!」だと思うので、できるだけ「それをどうすればつまらなくならないのか」を具体的に書いてみる。

書いてから気づいたんだけど

この考え方は、誰にでも合うわけじゃないと思う。エニアグラムで言えば、5(研究者)のタイプに向いてる考え方で、5の得意なことを生かしながら、7(楽天家)の要素を取り入れていい感じにしようって事かも。エニアグラムはツリー読んでてさっき知ったばっかりだけど、自分で診断したら 5と7が突出してるタイプだったので参考までに。追記: 指摘を頂きましたエニアグラムでは5に7が合わさると良くないらしいです。書き終わってからエニアグラムというものがツリーにあるのを気づいて診断したので、以下の内容にエニアグラムは一切関係ありません。内容が心理学的に崩壊してるのかは俺には判断できません。安易に心理学の用語を使ったことをお詫びします。あくまで俺の経験に基づくやり方であって、心理学等の体系的な学問に基づくものではないということを念頭において読んで下さい。

元ネタに合わせてタイトルつけたけどいまいちだった。あなた人生はつまらないって言い方、それこそだるい。考えてるときも、やってしまってからそれを見直してるときも、つまらないなんて感じた事は無いし本心としては「沢山考えて生きる人の考え方」にしたい。

深読み思考

これはあらゆることを、自分経験や知識にしようとすることなんだ。

つの事実に対して、様々な角度から思考実験をし、客観性の高い見方や自分自身にあった見方に繋がる可能性が深い思考にはある。ステレオタイプな見方や決めつけにはまらず、リテラシー認識力を育てるために深い思考は役立つ。

つの見方に固執して深く掘り下げるのではなく、一つの事実に対して様々な角度から掘り下げるられるようになればいい。そうすれば、一見関係ない事実の裏にも他の経験リンクする部分があることに気づき経験や知識の応用が利くようになる。物事の共通点を見出せるのは大きな武器になる。これは、物事の表面だけ見て思考停止しているのでは得られないことだ。

追記

大体、深読み思考という呼び名が「だからネガティブッ」って感じで命名がよくないと思う。思考してる=ネガティブ=よくない、なんて短絡だ。深読み思考の良い呼び名を考えたかったんだけどスーパー認識タイムとか変なのしか思いつかない。

極度の反省思考

極度の反省悪循環に陥らないために必要なのは、「自分が良いのか悪いのか」に拘らない事。「自分がそのとき良いと思ってやったこと」についてあとから「良いと思ったこと自体」に対して反省してもたいして得るものはないよ。それどころか周りから見ると、被害妄想自己中やかまってちゃんに見られてしまから注意だ。(追記: 反省とお詫びをしっかりわけてやろう)

例えばバグのあるプログラムを作ってしまったとしよう。バグを作ってしまったことを悪い悪いと反省していても何の解決にもならないし経験にもならないよね。まずはデバッグしないといけないし、そこからバグの出にくいプログラミングを学ばなければならない。

反省が生きるのは、「自分が何をしたか」「それによってどんな影響がまわりにあったか」「そしてどういう結果になったか」を自分だけの視点でなく、様々な角度から再体験したときだ。それは経験デバッグとも言える行為だ。デバッグを繰り返すことで、バグの出にくいプログラミングが身についていく。

反省は、過去の過ちを許してもらう為にするんじゃない。成長する余地があるからすることなんだ。沢山反省してしまうのは、沢山成長したいことの裏返しなんだよ。だから、これからの為に反省すればいい。

追記

実際よくあることだけど、

これ真に受けてたら、思考×反省タイプの人は前に進めない。だからネガティブだと言われても真に受けるな。

反省してると「あんたってほんとネガティブだよね!」→反省経験無駄にしないために、次にいくために、成長するために必要なこと。上でも書いた通り、「自分が悪い悪い」の反省にはたいした意味はないけど、ちゃんと経験を検証する反省なら次に繋がる。先の為に反省してんだよ。過去無駄にしないために反省してんだよ。これのどこがネガティブだっていうんだ。

諦めて見直してやり直そうとしてると、「あんたってほんとネガティブだよね!なんですぐ諦めるの!」→先に行くために諦め=決断と効率の良い見直し=反省は必要なんだよ。途中で諦めてもちゃんと見直し=反省して次に生かすつもりなんだからネガティブじゃないよ。むしろ、失敗を認めず、まずいまずい無理だーと思いつつやり直せないでぐだぐだに成長せず続ける方がネガティブかもしれない。まあそれを世間では頑張りなんて言うので、そこはうまく結果出して認めさせるしかない。


優柔不断思考

先の反省と繋がるんだけど、反省を前向きにできるようになるとリスキーな選択でも決断できるようになるから、同時に優柔不断さは収まっていくのだと思う。

優柔不断改善するのに必要なのは、生きてる時間は有限なんだって考えること。すっごい単純だけど、人があれこれ考えて途中で思考を打ち切る時って、殆どが「考える時間と見合わせて結果でペイできないから」なんだよ。生きてる時間も考える精神力も有限だし、真の答えではなく、近似的な答えでどっかで計算を打ち切らないといけないなんてことはしょっちゅうある。

「考える時間と見合わせて結果でペイできないから」をもうちょっと説明してみる。

ずっと考えてる→いつまでたっても実行できない→実行されないか反省の機会がない→反省(デバッグ)の経験値があがらない→経験値があがらないから思考精度があがらない→思考精度があがらないからずっと考えてる→ループ

これが優柔不断思考の悪いループ。良いループ

時間が勿体無いから思考を途中で切り上げてとりあえずやってみる→実行→反省(デバッグ)の経験値があがる→経験値があがるから思考精度があがる→思考精度があがるから、少ない時間で思考を切り上げて実行に移せるようになる→ループ

投げやりですまないけど、時間は有限だからとりあえずやってみるというのがとにかく必要だってことだよ。

成功の味を知ること

成功体験。成功の味を知ること。逆からいうと負け癖をつけないってことなんだけど、そういう言い方すると反省するのがいけないとか失敗がいけないって思う人いるからそう考えないで。とにかく、成功の味を一度は知らないと、人はそのためにリスキーな選択や冒険をしようとはなかなか思えないんだ。

自分で、成功の味を味わうのが難しかったら、だれかからおすそ分けしてもらうのでもいい。成功する人の応援をする、手伝うとかで、少しずつでも成功するということがどんなに気持ちいいことなのか味わえばいい。

受動的・非積極的思考

だいたいこんな感じだと思うんだけど、

というわけで、これは先の二つの結果しかないってことだね。

人生をつまらない物にしてしまう人の4つの思考

4つの思考のうち、先の二つを磨くことで、あとの二つを変化できるってことになったよ。ってことは、もともと二つが軸なのかもしれないね

そしてそれは"直す"ようなものでもなく、生かせるように磨いていけばいいんじゃないかな。

(ちょっと上級者向け: もっと言えば、深読み思考は事実認識反省経験認識でどちらも認識をどうするかという一つの問題になるんだ。そして、そのどちらも「一つの事実に対して様々な角度から掘り下げる」という所を磨けばいい。深読み思考の所に書いたことも、反省の所に書いたことも、結局同じ事な気がするよ)

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