2008-12-21

浅野いにおケチをつけたってキミは救われない。

思うところがあったので書いておく。

浅野いにお漫画がムカつく理由、あるいは一つの自虐風自慢 「童貞だったあの頃に戻りたいよ・・・orz

http://anond.hatelabo.jp/20081213165716

その雑誌レビューには「昔の彼女とヤってしまったような、若者なら誰でも持っている憂鬱さ」

浅野漫画に通低してるという趣旨だった。あぁ、僕はこういうファッショナブルな憂鬱さが大嫌いなのだ。

こういう憂鬱さを感じられる若者彼女をつくることができるという、人格が壊れない程度の安全な範囲で悲劇を消費している。


言いたいことはよくわかる。憂鬱ファッションとして消費している人たちが気に入らないというわけだ。

浅野いにおを消費する層がナルシシズム的に「ぬるい悲劇」に浸っているのが許せない。

でも、ちょっと待ってほしい。こんなのは奴隷自慢と一緒だ。

残業30時間だという人に対してそんなことがどうした俺は100時間だと言うようにそんなことがどうした俺の方が悲劇だと言っているようなものだ。

リア充じゃなくても非モテじゃなくても等しく憂鬱な気持ちにはなる瞬間はある。

憂鬱はキミだけの特権ではない。それに「30で彼女いない暦年齢といった危険な範囲の悲劇」だってそんなのは「ぬるい悲劇だ」「安全圏の悲劇」だと感じる人がいるだろう。

そして、どろどろの「憂鬱競争」が始まってしまう。俺の方がもっと悲劇だなんて言い合ってたらそんな悲惨な光景はない。

キミがいうところの「ファッショナブルな憂鬱」が一掃されたとしたらどうなるか?

不幸な人間を増やすだけじゃないか。余計息が詰まるどうしようもない世界が待っているだけだ。

では、どうしたらいいのか。他人の憂鬱ケチをつけたって何も意味はない。醜い嫉妬心が露になるだけだ。

浅野いにおを消費する層が「安全圏の悲劇」から「非安全圏の悲劇」に直面したってキミ自身は何にも救われずに不幸な人間が増えるだけなんだよ。

自分と見つめ合うしかない。自分を救えるのは自分だけであり、何かを落としたってそれは救われたことにならないんだ。

こんな「底無し沼の中での足の引っ張り合い」はもうやめようじゃないか。

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