街頭インタビューとかで「最近の政治について・・・」的な質問の回答に「誰がなっても一緒って感じ」ってのがある。
で、「誰が(首相に市長に議員に)なっても一緒でしょ?」っていろんな場面で聴く。
でもさ、よく考えたら「誰がなっても一緒」って超すげーよな。もしほんとに「誰がなっても一緒」ならこんな凄いシステムというか仕組みはない。ある意味「理想の仕組み」だよ。
職場に置き換えて考えてみるとその凄さがわかる。完璧に安定した運用があってそれが完璧にマニュアル化されて初めて「誰がなっても一緒」ってことになる。ちょっとすげー。
確かに「誰がなっても一緒」って言葉は閉塞感の現れだとは思う。しかし同時に如何にこの国の統治機構が(そのアウトプットの良否や将来性はさておき)仕組みとしての完成度が高いかってことの現れでもあると思う。
ここまで完成度の高いシステムだったら、改修はもう無理だ。
リプレイスするしかないとおもう。まじで。