2008-06-14

 気を紛らわしたい。何でもいいから。

 誰に何をいっても迷惑になるだけなんだと思うし、それで心配してくれる気持ちに応えるのもかったるく、どうせ自分はそこまでサービス精神が強くないし、優しさを徹することができないし、そう考えると、もはや誰かと懇意にする意味がみえなくなってくる。意味論でいえば何もかも意味がない。行きつく先は死です。生まれたときから徐々に死んでいく。そんな中二病思想にまみれた手あかのついた弱音が吐きたいわけじゃなくて、でも誰に何をいっていいのだか分からず、いったところで混乱させたり面倒くさく思われたりするだけなんだ、と結果が先にみえているので、もういかんともしがたく、いよいよ自分を持て余す。早く、時間よ、過ぎてくれ。早く、私の倦怠が、終わってくれ。これは憂鬱ではない。断じて憂鬱ではない。私はご飯も食べたしコーヒーも飲んだし、ただ箸を持つ手が重く、ガラスのコップのなかのコーヒーは小さく震えて波を立てていた。そういう表現、そういう描写ができるだけ、まだ、大丈夫だろう。まだ、ぜんぜん、病気ではない。死にたくはない。死ぬのは嫌だ。死んだりするのは嫌だ。でもこの頭のうえに動かしがたい石がのしかかっている感覚、何をするのもいうことを聞かない力ない手足や、考えることをストップした桃色の脳みそやら、そういうのを一旦、取り除いて、ラクになりたいと思う。コンタクトレンズ常用者が、眼球だけ取り出して「水でじゃーっと洗いたい」と笑っていたのを思い出す。そうだ、私も、脳みそだけ取り出してちょっと、洗浄したい。

 出かける。

  • 何を言っても迷惑ってことは意外となくて、 ほんと当たり障りのないことを選んで話しかけてみればいいじゃない。 家族とか、同僚とか、比較的近い人にさ。 それだけで、ずいぶん気持...

    •  そうですね。ありがとう。そう思います>話しかける  多分、話しかけさえすれば、あるいは出かけて、新鮮な空気さえ吸えば、つまり気分転換が上手にできれば、こういう面倒な気...

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