という言葉は村社会の言葉にしか聞こえない。
狭い世界でゲームをやっている者たちの言葉。
分類であって、下手人探し、こじつけに過ぎない。
それは本質を追求する目をごまかすためのもの。
現実はより広大であり、場当たり的であり、エントロピーであり、神はいない。
「終わりが見えて」いたりはしない。
すべての展開が読めるわけではない。
予定調和ではない。
たぶんわかってないのでもう一度言う。
現実世界は予定調和ではない。
そうである以上、最大公約数と個人の間にはほとんど何の関係性も存在しない。
どんなに占いをしようが未来は見えてこないよ。
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