2007-04-13

昔、みんながいたところ。

 

あのころ、誰かと会おうと思ったら、その人が自宅にいる時を見計らって電話して待ち合わせるか、その人が来そうなところで待っているしかなかった。

だから、みんなの溜まり場に行けば、特定の誰かとはともかく他の誰かには会えたし、会いたい誰かが来るまではたまたまそこにいたその人と話すなり、それぞれ黙って他の事するなりして、その時間をなんとなく共有していれば良かった。

そうしてその場に溜まっている人たちと共有するものが、結局その中の特定の誰かとも共有しているものになり、それがだんだん増えていくことで特定の誰かとも他の人とも話が通じやすくなって、お互いがどんな人かも分かっていって、どんどんなじんだ場所になっていく。

そういう形の居心地の良さがとても性に合っていた私はやがて「いつ行っても居る人」になって、本来ならとうにそこを去らなければいけない時期が来てもそこに居続けて、新たに入って来る人とも可能な限り時間を共有して、馴染んだ場所を維持し続けて居心地の良さを紡ぎ続けた。しかし、さすがに時間の流れに逆らうのにも限りがあり、そこを離れてから10年以上経つ。

最近その場所に行く機会があった。自分がいた頃とあまり変わらない雰囲気で、すぐに入り込んでしまったように見える自分に苦笑いしながら、それでも感じる違和感はそりゃ15年の時の流れのせいだろう、成長してはいなくても少なくとも変化はあったってことさ、と思いながらそこにいる人たちと楽しい時間を過ごした。

しばらくそうしながら、そこにいる人たちと話をしている内に、どうもそれだけではない不安のようなものを感じる自分に気がついた。これは何だろうと考えていると、携帯電話が鳴った。自分のではなくて、そこにいる誰かのだった。彼はその場を離れて、やがて電話をかけてきた誰かに呼び出されてどこかへ消えてしまった。

別の人は誰かに電話をかけて「今、○○にいるよ、うん。じゃあ俺も後で△△に行くかもしれない、わかんないけど、またメールする」と話していた。この場所とは全く関係のない人との連絡らしかった。

もちろん、私がここに入り浸っていた頃もこの中だけで人間関係が完結していたわけではない。当たり前の話だがそれぞれがそれぞれ別の人間関係にも接続されていて、その向こうにはきっと雰囲気も作法も全く違う別の「場」があることが垣間見えていた。時々何かの拍子にそれに触れることがあって、へえ、と少し見方が変わったりすることもまた楽しみの一つだった。ここにいるときに、その人が他の場所につながっている事を改めて認識する機会は、そう多くはなかったのだ。その人自身がここに居るかぎりは、その人はここの人だった。

でも今は違う。彼らはここに居る人だが、同時に他ともつながっている。話を遮って震え出す電話で。雑談の合間に素早く交わされるケータイの短文のメールで。

そして当然「いつ行っても居る人」なんて存在していなかった。誰かに会おうと思えば、相手の都合を聞いて、会いに行けばいいのだ。もちろん偶然に身を任せてここで待っていることもできる。昔からここにいるのは誰かに会うためだけじゃない、単なる暇つぶしの方が多いのだから。でも、暇つぶしをしながら何となく「今日は誰か来るのかなあ…」と待つとはなしにそこにいる、ということはもう無い。

電話をして都合を聞くほど何かがあるわけでもなければ、メールしてみればいい。返事がなければそれでいい。あればどこかで合流すればいい。たまたまここに来たから会えた、というような偶然に左右される必要はないのだ。もちろん、偶然ここで合流したらそれはそれでいい。電話して更に人数集めることだってできる。

彼らは私たちよりもずっとしなやかな人間関係を築いている。繰り返しになるが、それぞれがそれぞれ別の人間関係にも接続されているのは当たり前だ。でもその向こうにあるのは「別の場」ではない。別の「誰か」だ。その誰かには今ここでこうして顔を合わせている人さえ含まれる。ここに一緒にいるはずなのに、同時に、知らないところで別のつながりがある。

もちろん、それも昔から変わらない当たり前の話だ。でも今はそれがここにいるみんなの前で露わになっているのだ。さっきかかってきた電話のことで、いきなり目の前の誰かと誰かの間で話が始まる。他の人たちは気にもとめない(あるいは、誰かにメールを打ち始める)が、私は突然切断されてしまったような微かな居心地の悪さと得体の知れなさを感じる。その蓄積が奇妙な不安感になっているのだ。

部屋に戻って一人になって、そろそろ機種変しようと思っているケータイの画面を開く。そこには、今日知り合って、昔に戻ったような楽しい時間と同時に切断される不安を認識させてくれた人たちのまだ見慣れない名前に混じって、あの頃からのつきあいの連中が並んでいる。みんな不定期ながら今でも連絡を取り合って顔を合わせるし、中には今から会おうと思えばすぐにでも会いに行けるところに住んでいる奴もいる。次に会う時期もだいたい分かってるし、今は別段何の用も無い。でも何となく今頃何してるんだろうなあ、と思う。そうだ、メールしてみよう。そうか、こういう風に使うんだ。気軽に、しなやかに。

――この中の、誰にメールしたらいいのか分からない。誰にメールしたいのかも分からない。返事が返ってきたらどうしたらいいのかも、返ってこなかったらどうしたらいいのかも分からない。この中の誰でもない、私はあの場所にメールしたい。

「今、誰かいますか?」

 

 

 

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