http://anond.hatelabo.jp/20070217220031
もう一つ、話題とするものに周囲からの圧力がないのかどうかを見るといいんじゃなかろか。
例えば・・・
あまり関心を持っていなかったものが突然ブームになっていて、「これいいよ」「あれいいよ」と勧められる。当然最初は聞き流しているけれど、あまりにも多いと、「で、あんたらの勧めるそれが何の徳をもたらすのさ」と問いたくなる。さらに周囲からの圧力が高くなってくると、段々不安になってきて、「自分はちょっとおかしいんじゃないだろうか」「あれに関心を持たなくちゃいけない」と感じてくる。それで、次第に「『あれ』は実はとってもいいものなんじゃないだろうか」「『あれ』を今まで無視していた自分は間違っていた」と思うようになる。「あれ」に対する期待はいや増す。「あれ」は至上の目的だと感じる。それで、たいてい、ことは非常に大きな影響をもたらすから、まずは観察から始める。すぐにでも観察を放棄して行動に移りたいと感じるけれど、不安も大きくて、期待に満ちた眼差しを「あれ」に向ける。
けれど、「あれ」に対する理想と、観察できる実際の「あれ」とが全然違うんじゃないかと、そのうち感じるようになってくる。それはまるで、一人っ子のオタクが妹持ちを羨望するけれども、妹持ちのオタクがむしろ嫌悪感情を示すように、それはまるで、写真で気に入って通販で買った商品が、手元で見ると実にショボいモノだったときのように、理想と現実とが全く異なっていて、一種の落胆さえ感じる。それで、「目を覚ませ、お前らは騙されている」と喧伝し出す。或いは、「自分が騙されずに済んで良かった」と安堵する。しかし、周囲からの圧力は変わらない。再び不安が首をもたげる。「自分の観察は間違っていたんじゃないだろうか」「真の魅力はそこには無いんじゃないか」と。しかし観察の結果は厳密に「不要」だった。なにかがおかしい。だから焦燥に駆られて問う、「何のメリットがあるのか?」と。もちろん行動したい。行動してさっさと不安を解消してしまいたいのだ。けれど、発見されたデメリットを超えるメリットが見つからない。だから行動さえ出来ない。だから余計に焦燥に駆られる。「教えて欲しい、何のメリットがあるのか。無いのなら自分は正しかった。この焦燥は解消できる。見逃していたもの凄いメリットがあるのなら、状況が絶望的でも行動しなければならない。少しでも早く、0.001%でも成功可能性の高いうちに教えて欲しい」そう願う。けれど、相手が示すメリットは、観察で得た結果の域を出るものじゃない。だから余計に焦る。
結局のところ、個人によってはデメリットの方がメリットよりも大きくなるということは普通にある。いくら周囲が稼いでいようが、麻雀知らずに賭け麻雀をやる馬鹿はいない。麻雀を知らないなら、「やらない」という選択は正当で、責める余地は何処にもないし、むしろそうあるべきだ。けれど、もしも知っていて、相当の確率で勝利できるのならと仮定すれば、やりたかったと感じることは不当ではないし、むしろそうあるべきかもしれない。当然知らないのだから、やるべきではないと結論する。それは自分には不幸しか招かない。けれど、麻雀を知っている奴らは決まって言うのだ、「お前もやれ」と。だから、勘違いをして破滅を招きそうな自分の立場を守るためには、あくまで自分の立場での「メリットは何処にあるか」を問うしかない。正当化と言われようとも、提供されない足場は自分で作るしかない。
そっとして関わらないのが吉っていうのは同意だけれども。
なぜ結婚するのか、なぜ産むのかみたいな事を、一生懸命はてな界隈で、議論なさってるようですけど、じゃあアンタが人生の中でやってる事は、全てメリットがある事前提でやってるこ...
それの答えはひとつ「そういう奴らと関わるな。」 「何のメリットがあるの?」って言う奴らは基本的に、「やりたいのに何らかの障壁があって出来ない(出来なかった)人たちの正当...
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そうそう。 少し前に飲み会で上司に「お前も早く結婚しろ!」って延々説教されたときに言ったよ。 「それで何が得られるんですか!」って。 まあそう言ったところで、「そんな理屈じ...
ほんとうにすごいと思うのは、世の中の宗教のほとんどは少なからず矛盾がすでに発露しているのに それを見過ごしてそのままその宗教を信じている人が多いということだ。 僕には耐...