2006-11-14

不自由であること

いますね、そーゆー人。ダメな現場ではよく見ます。

ゲームっていうのは、あるルールを設定して、その制限のなかで遊ばせるというのが肝なので、ゲームを作るってのは「不自由を作る」こと。これを分かった上で「自由度を上げる」のはチャレンジだけど、なんも考えずに「自由」にするのは、ルールを作ることを放棄してるだけ。

優秀なゲームの作り手は、不自由なルールを作った上で、プレイヤーの工夫とか想像の余地を許す。ただこれはとても難しいことで、ともすればキジューみたいなゲームUCGOみたいなゲームなっちゃったりする。

どうでもいいけど、あるゲーム会社のトップが雑談の時に「正直、僕にはどんなソフトが売れるのか皆目見当がつかない。ほとんどバクチだ」といってて、経営者としてはとてもまっとうな感性だな、と思った。その会社下の人たちはすごく士気が下がってるのが残念でならない。バクチをバクチであると分かって、ゲーム作りにチャレンジさせてくれるところはまだ幸せなんだよ? 株価をいかにあげるかだけに注力してるトップの下で、平面的な流行だけ追わされる「ゲームみたいなもの」を作らされる地獄だってあるんだから。

http://anond.hatelabo.jp/20061113192530

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん